アルブレヒト・デューラーの自然への眼差し
ドイツ・ルネサンスの巨匠、アルブレヒト・デューラー(Albrecht Dürer)が描いた2点の水彩画──「芝(The Large Piece of Turf)」と「野うさぎ(Young Hare)」を紹介します。
どちらも1502年〜1503年にかけて制作され、現在はオーストリア・ウィーンのアルベルティーナ美術館に所蔵されています。透明水彩とグワッシュによるこれらの作品は、写実と観察眼、そして芸術家としての“まなざし”が詰まった名作です。
🌿「芝」──名もなき草への賛歌
筆者がデューラー作品の中でも特に惹かれるのが、この「芝」。いわゆる“雑草”をただ描いたのではなく、それぞれの植物に学名があるように、彼はひとつひとつを観察し、丁寧に描写しています。
畑仕事の中で目にする雑草たち。人間にとってはしばしば“抜くべき対象”でしかない彼らが、太陽に向かって生き生きと繁茂する姿は、自然そのものの力強さを象徴しています。
舗装道路の隙間から顔を出す緑。誰に頼まれたわけでもないのに芽吹く生命。デューラーは、そのような“無名の生”に、静かに光を当てました。
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🔥 燃える芝と旧約のイメージ
この絵を眺めていると、旧約聖書「出エジプト記」の一場面がふと脳裏をよぎります。
神の山ホレブで、モーセが見た「燃える柴」──炎に包まれながらも焼け尽きない植物──から、神が声を発したといいます。
草は手入れも施されず、誰に育てられるでもなく、ひとりでに生えてくる。そして抜かれてもまた芽を出す。それはまるで、自然の背後にある“意志”のようなものです。
デューラーはその“声なき力”を、植物という対象から聞き取っていたのかもしれません。まさに、モーセのように。
🐇「野うさぎ」──完璧な毛並みの静けさ
もう一つの傑作、「野うさぎ(Young Hare)」は、アルベルティーナ美術館のシンボル的存在。
入口にはこの作品を模した立体オブジェが設置され、看板広告などでも“美術館の顔”としてプッシュされています。
写実の極みともいえるこのウサギの描写は、毛並みの柔らかさや耳の血管、つぶらな瞳に至るまで、デューラーの観察力と筆致の冴えを存分に感じさせます。
ちなみにこの絵の下部には、デューラー自身の有名なサインが入っています。
鳥居のような構造の「A」の中に、やや小さめに「D」の文字が組み込まれた独特の意匠――それが彼のトレードマークです。
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まとめ:名もなきものへのまなざし
有名な人物や劇的な出来事ではなく、誰も気に留めない雑草や小動物にこそ、芸術は宿る──
デューラーの「芝」や「野うさぎ」には、そうしたメッセージが宿っているように思います。何気ないものの中にある不思議なエネルギーを、ぜひ一度、あなた自身の眼で感じてみてください。
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