「パリスの審判」
クラナッハは澁澤龍彦の本「エロティシズム」の巻頭口絵にも載っている、氏の大のお気に入りの画家。その絵は「パリスの審判」である。
「パリスの審判」1530年
澁澤龍彦氏によれば、クラナッハのこの絵に描かれた美女の裸こそ、現代のエロティシズムなるものに最も近く最も良く表しているのだそうだ。確かにこの絵の3人の女神たち、ゼウスの妃ヘーラー、知謀と機略のパラス・アテナ、そして愛と美のアフロディーテーの身体は現代のモデルたちのようにほっそりしている。
黄金の林檎
パリスの審判とはギリシャ神話に伝わるエピソード。一人だけ神々の結婚式に招かれなかった不和と争いの女神エリスが、怒って”黄金の林檎”を宴会に持ち込み3人に美しさを争わせたことによる。困り果てたゼウスはトロイアのパリスに3人のうちどの女神が美しいかを判定させた。
パリスは「最も美しい人間の女を与える」という約束に動かされて、アフロディーテーを選ぶ。パリスは人妻でスパルタの絶世の美女ヘレナを手に入れ、かくしてトロイ戦争が勃発した。
「エロティシズム」
澁澤龍彦の「エロティシズム」は氏が古今東西から収集した知識が網羅され、淡々と陳列されるだけの何ら難しくない書物である。エロティシズムの何たるかを知るうえでの入門書として最適。この本の中では中世の画家たちが狭い制約の中で苦心してエロスをどのようにして表現したか、が述べられている。
例えば女陰の代わりに貝殻を、処女喪失を壊れた甕で、引き絞った弓が勃起した男根を、どんぐりで亀頭を、といった具合である。さらにフロイト、ユングに代表される精神分析は、それらの象徴からいくらでも抑圧された欲求を見出し、解読することができるのであると。
「ユディト」
そしてルーカス・クラナッハの「ユディト」においても、秘められた黒いエロティシズムが認められるのである。ユディトは旧約聖書外典である「ユディト記」に出てくる、ベトリアの町の美貌の若い未亡人。アッシリアの王ネブカドネザルの隊長ホロフェルネス率いる軍にベトリアは包囲された。
ユディトは主なる神を信じ民を励まし、ある作戦を立てた;彼女が美しく着飾って軍隊の道案内を申し出ると、魅了されたホロフェルネスは喜んで迎え入れる。陣中に住み込んで異教の食物には手をつけずに4日待った。そして4日目の晩ホロフェルネスは美しいユディトを宴会場に呼び出した。
隊長はテントの中で彼女と二人きりになるが泥酔いして眠り込む。ユディトは刀剣を取るとホロフェルネスの首を切り落とし、味方の元へ首を持ち帰った。敵は司令官を失って動揺し、ユダヤ軍に見事撃退された。
「ユディト」1530年
また父クラナッハは似たような絵で「サロメ」も描いている。
「サロメ」1531年
●「サロメ」(文学作品)はこちら→ワイルド【サロメ】 ”銀の皿にのせて預言者の首を” 王女の邪悪な欲望〜あらすじ・感想
感想・まとめ
筆者が個人的に大好きなこの「ユディト」の愛すべき点として、まず彼女のファッション;当時にしてはかなりオシャレに着飾っているように見える。服・髪型も素敵だが斜めに被った帽子、剣を持つ指に垂れた飾り紐などがとても粋だ。
次に彼女の表情;唇を上品にすぼめて冷たく微笑んでいるような顔が、残酷な行為と対照をなしている。そしてギュッと絞られ寄せられたふくよかな胸;グラビア・アイドルが乳を盛るときのように挑発的だ。
さらに澁澤龍彦流に想像を膨らませるならば、しっかと握った刀の柄は固くいきり立った陰茎、首から切り落とされた男の顔は快感に喘ぐマゾヒスト、ユディトは冷酷に受け身の男を責める痴女といったところだろう。
筆者の心がいやらしいからそう見えるのだろうか。いや、そうとしか見えないのだが。宗教の厳しい道徳社会をすり抜けて描かれた、誠に淫らな絵である。
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