記憶・夢・デジャヴ──『ブレードランナー』『インセプション』で考える記憶の正体

エッセー

記憶の正体とは?

人間の思考において「記憶」という働きがある。これが脳の作用なのか、それとも魂がもつイマジネーションに由来するのか──私は専門家ではないので断言はできない。

ただ一つ確かなのは、「記憶」と呼ばれる何かが、たしかに私たちの中に存在しているということだ。

記憶はさまざまに分類され、心理学や哲学、そして文学や映画においても扱われてきた深遠なテーマである。

映画『ブレードランナー』には、記憶を持たないがゆえに自分の存在に不安を抱くアンドロイド、レイチェルが登場する。彼女に安定を与えるため、製造者であるタイレルは、ブレードランナーであるデッカード(ハリソン・フォード)に彼女へ“偽の記憶”を植えつけることを語る。

ブレードランナー ファイナル・カット(字幕版)

プラトンにおける「想起」

哲学者プラトンによれば、記憶とは単なるデータではない。純粋な魂ほど、物事の本質をより深く、鮮明に記憶できるという。

想起(アナムネーシス)とは、忘れていたことを思い出す行為であり、魂の奥深くに刻まれた真理を心の“引き出し”から取り出すことだ。

そのとき、かつての感情や記憶とともに、当時は感じなかった新たな感覚が浮かび上がることもある。

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記憶の種類

記憶には、心を癒す「良い記憶」もあれば、痛みを伴う「悪い記憶」もある。

トラウマと呼ばれるような記憶は、心の自己防衛本能によって意識の外へ追いやられがちだ。一方で、心地よい記憶は宝物のように保存され、何度も思い返される。

こうした日常的な記憶の取り扱いは、誰もが日々経験しているポピュラーなテーマでもある。

不思議な記憶

記憶の中には、特別な意味もなく、感情的な強さもないのに、なぜかずっと心に残るものがある。

たとえば、名前も知らない街角の平凡な風景、あるいは地方の農道に灯るぼんやりとした電柱の光。

なぜそれが記憶に残っているのか、本人にもわからない──しかし確かに、それは「記憶されている」のだ。

デジャ・ビュ──すでに見た光景

記憶の中でも特に神秘的な現象のひとつが「デジャ・ビュ(deja-vu)」である。これは“すでに見た”という意味のフランス語だ。

現実の現在が、なぜか過去に体験したように感じられる錯覚であり、全く同じ場面が繰り返されているような感覚に襲われる。

同じ瞬間はふたたび訪れないはずなのに、それが「また起きている」と確信してしまう、不思議な記憶の錯綜である。

夢と記憶──『インセプション』の世界

映画『インセプション』では、主人公たちが他人の夢に侵入し、記憶を盗み、あるいは植え付けるという犯罪に手を染める。

私たちが眠って見る夢は、目覚めている世界から見れば非現実だ。だが夢の中では、私たちはそれを“現実”だと感じている。

なぜなら、睡眠中の意識は曖昧で、判断力が極端に低下しているからだ。

ただし、夢の中で「これは夢だ」と気づく瞬間もある。それは眠りが浅く、意識の境界にいる時に起こる現象だろう。

そして、目覚めとともに夢の世界は、砂上の楼閣のように崩れ去っていく。元に戻すことはできない──まさに『インセプション』で描かれる記憶世界の壊れ方そのものである。

インセプション(字幕版)

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