概要
”気息”というものは生き物が生きていることの証、体があっても呼吸していなければただの死体である。生き物を単なる物体から区別するのは息であり、息によって動物は色々な行為をするために体を動かすことができる。
エドガー・アラン・ポーの1835年9月発表の短編作品「息の喪失」” Loss of Breath "は気息を突然無くしてしまった男の、ブラック・ユーモアに満ちた破天荒なお笑い劇である。
あらすじ
息無氏は女房と結婚初夜を過ごした翌朝、さっそくこの売女を口汚く罵っていた。おそらくすでに処女でなかったのだろう。「このろくでなし!この女狐め!このじゃじゃ馬!」立て続けに妻を糾弾する「この狐憑き!この鬼婆ア!この生意気な女腐れ!
この汚らわしい掃き溜め野郎!この、ゲジゲジで、女衒で、赤膨れが!こノォ、こノォ、、、」ついに心臓に突き刺さる止めの一撃とも言える致命的な罵倒を売女の鼓膜に怒鳴りつけようとしたその時、男の”息”が無くなってしまった。
息無氏
基本的に声は喉から空気を吐き出してだすもの。男は最後の一言が妻に言えず、その場の体裁を取り繕いにんまりと笑ってキスすると、唖然とした女房を残したまま軽やかなステップを踏みつつ部屋を出た。
自室にこもってじっくりと事態を鑑みてみる。息がない、鏡を曇らすどころか羽一枚動かすこともできない、完全な息の喪失。まるで死人のような有様だが、男はある種の声は気息に関係なく、喉の筋肉の痙攣運動によって出すことが可能なことを知った。
主人公は本棚の『変身』という悲劇のセリフを全部暗記した。この劇のセリフはすべて喉の痙攣で出すことができ、あらゆる局面に応用が効くから、劇のセリフで受け答えしていれば当座は凌げようと考えたのだった。そして男は土地を離れることにした。
落し物
どこにも見つからない落し物”息”、なぜならそれは目にも見えないし捕まえることもできやしない。沼で気狂いと間違われながらセリフの練習をしたあと、馬車に乗り込むがこれがひどいすし詰め状態。大男と太っちょに挟まれていたが息が無いため窒息の心配もない。
ところがさらにもう一人ヴォリュームのある客が入ってきて男を座席で押し潰した。目的地に到着すると男が手足の関節が外れ首がねじ曲がっており、息がすでにないことが判明した。死体と間違われ息無氏は居酒屋「鴉軒」の前に放置された。
解剖
「鴉軒」の親父は医者を呼び寄せ男の体を売り払った。医者は解剖の実験を始めた。ところが彼が主人公の両耳を切り落とした時にまだ生きている兆候に気付いた。死亡鑑定のため薬剤師を呼びにやると、今のうちに腹を切開して内臓を切り取った。
薬剤師はこれは完全な死人であると断言した。主人公は生きている証拠を見せようと体をくねらせたり捩らせたりした。しかしこれは治療で用いられた新型の電池のおかげだという結論に達した。再検査をする前に死体を屋根裏部屋へ運び、医者の細君が衣服を着せた。
『神の偏在』の書を頭の中で反芻していると二匹の猫が息無氏の顔の上で喧嘩を始めた。顔の肉がいくらか削ぎ落とされ、奮起した主人公は力を奮いおこして身を起こし窓から飛び降りた。すると偶然通りかかった死刑囚を護送中の馬車がその体を受け止めた。
死刑
死刑囚の服が主人公のにそっくりだったこと、容貌までが似ていたことを見るや、有名な盗賊Wは身を翻して馬車から脱出した。御者は眠っており見張り二人は酔っ払っていた。息無氏を見た兵隊はこいつが逃げようとしていると思い込み銃の台尻で殴り倒した。
絞首台で首を吊られながら自分が全然死にそうもないことが分かったので、見物人たちを楽しませるよう男はわざとこの上ない苦しげな身振りをしてみせた。そのおかげで多数の失神者がでた。アンコールまで上がった。
息倉氏
共同墓地に埋葬されたが自分で棺桶の蓋を外して墓地をうろついた。そして様々な死体を蹴飛ばしたりしながら侮蔑的な批評を始めたのである。そのうちに無くした息を飲んでしまったために癲癇になり埋葬された奴がいた。
ついに自分の無くした息を持っている人間に出会えた!こいつは結婚前の女房と浮気していた息倉氏だった。息無氏は取り決めを行うと受領書を渡しまんまと息倉氏から自分の息を取り戻すことができた。まるでポー自身を度々襲った不幸と災難を笑い飛ばすようなユーモア溢れる一品。