プラトン『エウテュプロン』レビュー|ソクラテスが問い続けた「敬虔」とは何か?

哲学

【プラトン】『エウテュプロン』レビュー|敬虔とは何か?問答から逃げた男

プラトン全集 第1巻より

岩波書店の『プラトン全集』は、日本中の図書館を静かに照らす知の宝庫です。中でも第1巻はソクラテスの裁判前後のエピソードがまとめられていて非常に人気。その中に収録されているのが、今回取り上げる対話篇『エウテュプロン』です。

なお全集は全15巻。現在は一部絶版となっており、古書市場で高額になる巻もあります。もし図書館に置いてある場合は、くれぐれも紛失や盗難にご注意を。

エウテュプロンの登場とあらすじ

舞台はアテナイの街中。ソクラテスが裁判所へ向かう途中、若者エウテュプロンと出会います。驚くべきことに、彼は自分の父親を殺人罪で訴えに来ていたのです。

ことの顛末はこうです。エウテュプロンの父親は、自宅で働いていた日雇い労働者が酔っ払いの末に奴隷を殺してしまったことに怒り、男を縄で縛り、放置。結果としてその労働者は死亡してしまった。これを“過失致死”と捉えた息子は、敬虔なる義務として父を訴える決意をしたというのです。

ソクラテスはこの話に対し、「父を訴えるとは何事か」とたしなめます。しかしエウテュプロンは「むしろ自分こそが“本当の敬虔”を知る者である」と自信満々に語り、そこから“敬虔とは何か”という哲学的問答が始まるのです。

「敬虔」とは何か?問答の行方

“敬虔”という言葉、普段あまり耳にしないかもしれません。英語では“piety(パイエティ)”と訳され、神々や目上の者への深い敬意と慎みを意味します。

エウテュプロンは「敬虔とは、神々に好まれること」と言い張りますが、ソクラテスは容赦なくその定義の曖昧さを突き続けます。「神々が何を好むのか」「神々の間で意見が分かれたらどうなるのか」……どんどん話はややこしくなっていきます。

そしてついに、エウテュプロンは根負け。こう言い放ちます。「すみません、ちょっと用事があるので……」

哲学の洗礼から逃げる若者

この場面、個人的に強く印象に残りました。プラトンの対話篇に登場する人物たちは、大抵ソクラテスの話に粘り強く付き合うのですが、このエウテュプロンは違います。明確に「うざい」と感じて逃げ出してしまう。

たしかに、もし自分が出かけ先でいきなりハゲ頭の老人に「敬虔とは?」などと問われたら、逃げる以外に選択肢はないかもしれません。そう考えると、エウテュプロンはごく自然な反応をしたとも言えるでしょう。

とはいえ、哲学者の国ギリシャで、ここまでソクラテスを相手に強気に出た青年がいたというのは、ちょっと意外で面白い発見でした。

まとめ:ソクラテスを打ち負かした(?)男

『エウテュプロン』は短く、登場人物も少ないにもかかわらず、「倫理とは何か」「信仰とは何か」という根源的な問いを鮮やかに浮かび上がらせる作品です。

そして何より、議論から逃げたエウテュプロンの姿は、現代を生きる私たちにもどこか通じるものがあります。「議論が面倒」「正しさを考えるのは疲れる」──そんな気分を見透かしたかのような、軽妙で風刺的な哲学入門とも言えるでしょう。

●関連記事はこちら:

コメント

タイトルとURLをコピーしました