古代アレクサンドリアの悲劇の女学者ヒュパティアを回想する|知識と信仰のはざまで
映画『アレクサンドリア』とヒュパティアとの出会い
2009年公開の映画『アレクサンドリア(原題:Agora)』を最初に観たとき、正直あまり面白く感じなかった。主演のレイチェル・ワイズは魅力的だったが、彼女が演じるヒュパティアという人物に現実感が持てなかったのだ。
ところが、ヒュパティアが実在の哲学者・天文学者・数学者だったと知った今、映画を再視聴してみると、驚くほど面白かった。彼女の人生を知ってから観ると、作品が全く違って見える。
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父・テオンとヒュパティアの知的遺産
ヒュパティアの父は、古代アレクサンドリア図書館の最後の館長にして、偉大な天文学書『アルマゲスト』の注釈者テオン。父のもとで育ったヒュパティアも、数学・天文学・哲学の全てに卓越した才女だった。
当時のアレクサンドリアは、プトレマイオス王朝の支援を受け、ギリシャ哲学と科学が頂点に達していた。だがその学問的傲慢さが、のちに悲劇を招くことになる。
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アレクサンドリア図書館の破壊と知の崩壊
ヒュパティアの生きた4世紀末、キリスト教がローマ帝国で国教化され、異教の学問や思想は次第に“異端”として排除されるようになった。
そしてついに、アレクサンドリア図書館は“異教の拠点”として破壊される。図書館が焼かれ、多くの知識が永遠に失われた。
ヒュパティアはA.D.415年、狂信的キリスト教徒たちにより虐殺される。彼女は街中で裸にされ、牡蠣の殻で生きたまま肉を削ぎ取られ、火で焼かれた。牡蠣の殻は、当時建築材として一般的に使われていたという。
知識の栄光と傲慢、その代償
ヒュパティアの最期は、ある意味で「知識の傲慢さ」に対する神の裁きの象徴と見ることもできる。プトレマイオスの『アルマゲスト』や『地理学』を読めば、彼の論述がいかに高飛車で断定的であったかがよくわかる。
「明らかに」「容易に理解できる」「直ちに証明される」といった表現が並ぶその文体には、誇りと自信、そしてどこか“知の全能”に対する信仰がにじんでいる。
筆者も邦訳書に合計3万円を投じて『アルマゲスト』を読み進めているが、もしプトレマイオスが現代の天体シミュレーション動画やギャング映画を観たなら、あまりの世界の変化に驚愕し、糞を漏らすのではないか……とさえ思う。
まとめ:知の終焉と信仰の始まり
アレクサンドリア図書館の崩壊とヒュパティアの死は、ヨーロッパの「知の時代」の終焉、いわゆる暗黒時代の始まりを象徴している。
学問は人類の誇りであり、進歩の礎だ。しかし、それが傲慢と自惚れを生むならば、神の怒りに触れることもある。知識より大切なのは、「神を恐れる心」かもしれない。
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