【エドガー・アラン・ポー】「楕円形の肖像」レビュー|女の命を吸い取る、芸術という魔
創元推理文庫・ポー小説全集第3巻に収録された「楕円形の肖像」は、わずか数ページの中に戦慄と哀切、そしてゴシックな美を凝縮した珠玉の短編である。
■ 古城にて──静寂の中で絵に見つめ返される
アペニン山中。深手を負った主人公は、従者に伴われ、廃墟のような古城に一時の避難を求める。
彼が落ち着いたのは、小塔の一室。広間の壮麗さとは対照的な、狭く陰鬱な部屋だった。壁にはタペストリーが垂れ、紋章入りの古びた武具が並び、そして──無数の額縁に収められた絵画が静かにこちらを見つめていた。
眠れぬ夜、主人公は燭台を傍らに、壁を飾る作品群をひとつひとつ眺め始める。そして、解説書のページを繰りながら、その由来に思いを馳せていた。
■ 暗がりに浮かぶ“彼女”
深夜、ふと手を伸ばして灯を動かしたとき──部屋の片隅、闇の中に一輪の顔が浮かび上がった。
息を呑んだ主人公は、すぐにそれが肖像画であると気づく。だがそれはただの絵ではなかった。楕円形の額縁に収められたその若い乙女の肖像は、生きているような表情を湛えていたのだ。
主人公は魅了され、長いあいだその絵から目を離せなかった。だが、単なる技術的な精緻さではない──彼を捉えたのは、「生気」のようなものだった。
■ 本に記された、ある画家の物語
興奮のうちに主人公は解説書の該当ページを探しあてる。そして、絵にまつわる物語が綴られているのを読む──。
かつて、ひとりの若き女性が、ある画家の妻となった。彼女は優しく、従順で、すべてを夫に捧げていた。ある日、画家は彼女の肖像を描きたいと申し出る。妻は喜んで応じ、小塔のこの部屋で制作が始まった。
画家は狂気のように筆を走らせる。青白い天窓の光が妻とカンバスを照らす中、彼は己の芸術にすべてを注ぎ込んでいく。だがその間、妻の顔は次第にやつれ、生気を失っていく。
そして、最後の一筆──微笑の曲線と、瞳の艶を描き終えた瞬間、画家は叫んだ。「これは…まるで生きている!」
──振り向いた時、そこにあったのは、すでに息絶えた妻の姿だった。
■ 命を代償に描かれた“永遠”
この短編は、肖像画の物語であり、そして芸術そのものに取り憑かれた者の狂気と、創作の代償を描いている。
美とは、永遠に留めておけないもの。女の若さや生命の煌めきは、刻一刻と衰えていく。だからこそ芸術家たちは、それを封じ込めようとする。
だが──もしも美をキャンバスに焼き付けることで、実際に命を削ることになったなら? それでも芸術は崇高で在り得るのか?
■ 終わりに
時間は、命を奪う。美もまた、儚く過ぎ去る。たとえ映像や写真で保存できたとしても、それは“生きた美”ではない。
ポーが描いた「楕円形の肖像」は、ひとつの絵に託された哀切な愛と死の寓話である。わずか数ページながら、芸術と狂気、そして消えゆく美のすべてが詰まっている。
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