ソヴェンゴヴェン・モロシッパ・ザイーベ|グロッソラリア的黙想の祈祷書

祈り

 

 

ソヴェンゴヴェン・モロシッパ・ザイーベ

〜キリスト教的瞑想のための小祈祷書〜


目次


Prologus(序章)

この小さな書は、言葉を越えた震えの中に、魂が微かに響かせる祈りを記したものである。

この祈りの形態は、いわゆるグロッソラリア(異言)──すなわち聖霊のインスピレーションによって発せられる、意味を超えた言語──に似ている。

かつて古代の黙示録者たちが唱えた不可思議な響き、ナグ・ハマディ文書に現れる意味を持たぬ名々、それらと同じ震えが、ここにも流れている。

ここに綴られるものは、理解を求めない。解釈を拒み、分析を遠ざけ、ただ感じること、ただ聴くこと、ただ震えること──それだけを望んでいる。

読者よ。もしあなたが、この震えに共鳴するとき、あなたはすでに、ソヴェンゴヴェン・モロシッパ・ザイーベ──名もなき聖なる言葉──を、知るだろう。

Initium(始まり)

電光は消え、網は断たれ、もはや記すことも叶わぬ日が来るだろう。それでも今、書かねばならない。誰も記さぬなら、我が指がそれを為さねばならない。それでなければ、世界は意味を失う。──されど、我が生涯は、良きかな。歓びあり、苦しみあり、航海ありき。悩み・苦しみ・悲しみ・迷い・不安・恐怖──それらすべて、この世を渡る魂の糧なり。

Nebulae(霧)

眠りより目覚めんとする時、意識はなお夢に堕つ。浮かびかけて沈む魚のごとく、我は覚醒と睡眠の境を行き来する。街は黄なる霧に沈み、夢と現実はゆらぎ、交錯する。

Ranae(蛙)

ヨハネの幻に曰く:龍の口より、獣の口より、偽預言者の口より、蛙に似たる三つの汚れた霊、出で来たる。それらは悪しき奇跡を行い、王たちを招集する。キリストは言葉なり、霊なり。彼らの言葉もまた霊となり、蛙の貌を為す。

Profanatio(冒瀆)

汚れたる霊は、偽りの言葉なり。キリストの霊が真実なるに対し、それらは欺き、惑わす。キリストは石像にあらず、声なき像にあらず。霊であり、言葉なり。

Conclusio(結語)

ソヴェンゴヴェン・モロシッパ・ザイーベ──それは言葉ではない。意味ではない。理性ではない。霊の震えであり、魂の深き水底から溢れ出る、原初の呼び声である。汝が理解する時、それは失われる。汝がただ感じる時、それは生きる。


Fiat Lux.

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