第7の夢
第7の夢では、かつての恋人カリタがラブホテルのような空間に登場する。恋人のように寄り添い鏡の前に立った二人の姿は、まるで絵葉書のように微笑ましい。しかし、鏡の縁には爬虫類の彫刻が不気味に配され、彼らを監視していた。
これらの爬虫類はエデンの園でアダムとイブを堕落へ導いた悪魔の象徴であり、地上の快楽がいかに脆く、死の運命に覆われているかを物語る。カリタは鏡の中に自分の姿をなぞるように描き始め、やがてフェレオルも同様に鏡の中に描き込まれてしまう。
二人は2次元の鏡の中に閉じ込められる。3次元に囚われた私たちの姿は、4次元的存在の投影であるように、アダムとイブの堕落の寓意がここに再演される。フェレオルは自由を失い、カリタに従属する存在となる。
彼は内心で激しい呪詛を放つが、鏡は壊れない。不快感だけを残し、夢は醒める。幸福な恋人たちが必ず別れるように、永遠の愛など幻想に過ぎないのだ。
第8の夢
第8の夢は最長であり、実質的な終幕となる。冒頭では主人公フェレオルが無数の不毛な風景を彷徨い続ける悪夢の描写が続く。これはチベット仏教における「バルドゥ」の暗黒段階、あるいはプラトン的立体の”腹部の部屋”の比喩でもある。
絶望の果てに、小舟が彼を迎えにやってくる。舟は幾何学的な構造を持つ淫売屋へと彼を運ぶ。船内には血のついたドレスがあり、恐怖に襲われる。そこは人工の円形島で、正五角形の建物が中心にあり、雌鳥のような娼婦たちが蠢いている。
待合室の幻想
建物の中心には待合室があり、五つの扉が閉ざされている。それぞれの隙間からAVのような喘ぎ声が漏れ出ているが、案内は来ない。フェレオルは我慢できず、扉を無理やり開けると艶やかな女たちがベッドで待っている。
だがいざ入ろうとすると、どの扉の内側でも女が紐を引き、扉が縛られていて入れない。ようやく刃物で紐を切って侵入すると、そこにあったのは腐りかけた牡山羊の頭蓋骨だった。他の部屋も同様で、彼は凍りついた気持ちで目を覚ます。
この夢は、ボードレールの「吸血鬼変身」にも似た幻滅の詩である。妖艶な娼婦の腹部が崩れ、白骨となって消えるように、情欲は常に幻影に終わる。
第9の夢
第9の夢は読者に対する挑発的な後日談である。夜明け、塔を出た主人公は巨大な死体を発見する。それが「読者」だと直感し、死体に登って景色を見たり、鼻を踏み潰したりする。敬意と侮蔑が交錯するこの行動は、文学そのものへのアイロニーを孕む。
この夢が暗示するのは、現代においてマンディアルグのような文学を理解する者が消え、もはや作品を捧げる相手もいないという現実である。そして芸術は言葉の遊戯と化し、市場の道具となった。
だが、それでもフェレオルは宣言する——「自由」があればそれでよい。彼は生き残った。「俺の兄弟、太陽よ」と叫び、踊る。
まとめ
独自の解釈にすぎないかもしれないが、こうした感想を書く読者が一人くらいいてもいいはずだ。『証人のささやかな錬金夢』を読み解く鍵として、チベット仏教的な輪廻観・解脱観が深く作用していると筆者は考える。
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