概説
この薄くて小さな文庫には「日本国憲法」と付録として「大日本帝国憲法」「教育基本法」「児童憲章」と英訳の憲法が付いている。(新版には日米安全保障条約も付す;これは明らかに安倍政権の憲法改正への強い姿勢に対する出版社側の反応であろう。
なぜなら自民党が改正を掲げる憲法第九条は「戦争の放棄、軍備および交戦権の否認」だからだ。)筆者は「日本国憲法」が読みたかっただけなので、安保条約は見たくなったならネットで良いと思い新版は買わず安い古本を購入した。
アンダーライン
じゃあ憲法だってネットで読めるから買う必要ない、そのように読者は思われるかもしれない;しかしながら憲法は非常に重要な国の「最高法規」なので、ちゃんと本になって綴じられた形で持っておきたかった。また自分のものにすれば好きな研究に役立てることができる。
筆者は読んで疑問を感じた箇所にアンダーラインやマーカーを引いた。下のように;
語彙
特に筆者が選んだのは「自由」「平等」「恒久平和」「子孫」「将来」「正当」「生命」等といった、文学・哲学的な意味合いの非常に強い単語である。「幸福追求」「権利」「奴隷的拘束」「基本的」「崇高」などもある。
したがって天皇、内閣や財政、司法に関する条文はほぼ読み流した。次にマンディアルグの小説『大理石』の中の「ヴォキャブラリー」を読む;「ヴォキャブラリー」の詳しい内容については過去記事を参照願う。
【マンディアルグ】「大理石」II. ヴォキャブラリー 荒筋と解説
小説の「ヴォキャブラリー」には地下墓地のごとき美術館にそれらの言葉が”陳列”されているのである;ちなみに「憲法」の部屋にはダヴィッドの「テニスコートの誓い」(フランス革命前夜に起こった事件を題材にした絵画;アイキャッチ参照)の巨大な絵が壁に描かれ、室の中央に牛ほどの大きさの螻蛄が置かれているのであった。
「螻蛄」(けら) 参考画像
樹と実
「実を見れば樹がわかる。良い樹に悪い実が生ることはなく、悪い樹に良い実が生ることはない」とは福音書の言葉である。つまりこの憲法は現代の日本の樹なのであり、我々はその樹の実なのである。現憲法が公布されたのが昭和21年・西暦で1946年のこと、第二次世界大戦で日本がアメリカに降伏した直後のことである。
施行は昭和22年、ちなみに筆者の父親が生まれた年だ。父親は家督であったが、その前に母親が死産しているので実際に私から見た爺さん婆さんが子作りしたのは終戦直後で、婆さんは戦争中の恐ろしい思い出が強かったため嬰児は亡くなったのかもしれない。
さて現憲法がアメリカの強い圧力で操作されて出来上がったということは、別に三島由紀夫でなくとも容易に推測できる。付録の「大日本帝国憲法」とは天皇と戦争に対する姿勢が全く異なっているし、戦争中は国民総玉砕の意気込みだったのが、原爆投下で滅びよりも降伏を選んだのであるから。
これはそれまでの日本の武士道教育上ではありえない選択だった。
児童教育
つまり筆者昭和世代の親たちがああなのは、親たちの親たち、私から見て爺さん婆さんが現憲法による「教育基本法」「児童憲章」に従い子供に教育を受けさせたためである。そして私たちはそのような親に育てられ、子を産み再びそのように子を育てる。
(ここでも、「真理と正義」「人格の完成」「愛とまこと」「自主的精神」「よい環境」などにアンダーラインが引かれているのがお分かりかと思う。「自然を愛し」「科学と芸術を尊ぶ」「正しい」「愛情と知識と技術」とか)
繁殖の世代
するとその子らはまた子供を作るとそのように育てる。これが現代の世代である。いま児童である人たちが次に子供を作るには、あとどれくらいの年月と食物が必要だろうか?なぜなら生殖をし繁殖するためには性行為が必要で(自然から離脱した科学医療技術についてはここでは扱わない)、
そのためには性行可能なまでに発達した生殖器が必要だからである。人間は一個の細胞から始まる。胎児が乳児に、幼児になり児童になり、繁殖可能な生殖器を備える年齢になるまでには時間がかかり、かつ体の成長を養う食べ物が不可欠だ。
現代の児童諸君が子供を残せる世界になるように、太陽と大地に感謝せねばなるまい。なぜなら時間は太陽によって巡り、食物は大地が産出するのであるからである。