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666について

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Revelation

666は”獣の数字”あるいは”人間を表す数字”としてヨハネの黙示録に述べられている数であるが、この解釈を巡っては、ミヒャエル・マイヤーの錬金術の書「逃げるアタランテ」でも述べられているように、哲学者の薔薇園の門を通るのではなく、塀をよじ登って中を覗こうとする、いわば野次馬的な学者連によってさんざん論じられてきた。つまりその文字自体はローマ皇帝ネロを指すのだとか。

だが私はとうに死んだ一人間の名前を666という数字が表しているなどとは、一応そこまで馬鹿ではないので思わない。666とは、現代に生き、日々繰り返される民主主義という名の宗教の思想、あるいはフランスとニューヨークのコラボレーションで成型されたリベルテ・自由の女神の掲げるキャッチ・フレーズのようなものであると言える。

Arithmetic

すなわち6は7には決してならないから、666なのだ。昨日も、今日も、そして明日もという意味である。666は旧い建築物のように日々そそり立っている。これを建築した犬は、これを維持しようと努めるが、666は667には決してならないし、6666の四桁になることもない。そういう意味の数字ではないからだ。

しかし全ての物を破壊する時間は、666のことを愛し摩擦する。数字は時間の摩擦に耐えられず射精する。

Isajah

「ああ、災いだ、災いだ」と民衆が聞きたくもないことを語り、イザヤがノコギリで股間から頭のてっぺんまで切り裂かれて死んだのはかなり昔である。

肉の脂身を口いっぱいに頬張って、ニンマリと笑っている;その間に、歯の間からは死肉の脂肪の脂身がはみ出てくる;そうしておる間にも時間はどんどん減っていき、存在は消え薄くなってきているのが明らかに認められる。

夢と現実とは3ミリ程の薄いガラスにも似た、氷の幕で隔てられているに過ぎなくなってしまった。眠りから覚めるとまだ眠っているような気がし、もう一度夢の続きに戻りたい、そう願うのだ。

とにかく「馬の耳に念仏」は名言である。この黄金の国の子豚でも分かる格言が、開闢以来の歴史を表していると言っても過言ではない。

conclusion

誰も自らの心が晒されていることに気づかない;もしそれに気づくなら、せめて顔を赤くするだろうし、前や後ろを隠しもするはずである。

アライグマの汚い顔は日の光の前に晒されている。誰がそれを見ることができようか。巣の中の鷲を見るがよい。彼らは人間の知らない樹木等の高所に巣を作るが、どんなに気高く美しいことか。

Well, dou hear me, fkin shit gods. So Let go abroad the Park of Hatred for dispising another sunshine generated fifty thouthand centuries ago.

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