黒い夜の宴へようこそ
古い時代、人々は“夜の集会”を恐れていた。
それは月明かりの下、女たちが空を飛び、山奥や荒野に集まって開かれるという禁断の儀式。人々はそれを「魔女のサバト」と呼んだ。
キリスト教文化圏では「サバト」という言葉に、単なる休息日以上の意味が込められるようになった。悪魔と契約を結び、神を冒涜する宴。その中心には──
角をもった謎の存在、バフォメットがいた。
なぜ山羊がそこにいるのか?
前回の記事でも触れたように、バフォメットはしばしば山羊の頭部を持ち、玉座に座している。
魔女たちがひれ伏し、接吻し、祝福を受ける。その光景はまるで、宗教儀式のパロディのようでもあり、神秘的な再構築のようでもある。
山羊=バフォメットは、地上的本能と超越的知恵を併せ持つ「両性具有」の存在。その角は、自然の力と霊的な力をつなぐアンテナだとされてきた。
なぜサバトの中心にこのような存在が座すのか──
それは、この宴が単なる“悪の祭り”ではなく、二元性の統合と超越を目指す「秘儀」だからだ。
飛翔と夜──なぜ魔女は空を飛ぶのか?
魔女はなぜ“飛ぶ”のか? なぜ“夜”を選ぶのか?
ここには深い象徴が潜んでいる。
- 夜は無意識と夢、異界の象徴である
- 飛翔は束縛からの解放、自由と越境のメタファー
- サバトは“昼の秩序”に対する“夜の混沌”
一説には、魔女たちが用いた「軟膏(サバト軟膏)」には幻覚作用があり、それによって彼女たちは“飛んだ”ともいわれる。
つまりサバトとは、肉体を越えて霊的次元に踏み込む儀式でもあった。
反転の祝祭──黒ミサとしてのサバト
多くの文献や絵画では、サバトは「黒ミサ」として描かれている。
聖餐の反転、祈祷の逆唱、倒錯的な性行為。すべてがキリスト教儀式の“裏返し”。
だがこれは単なる冒涜ではなく、価値の相対化・秩序の解体である。
世界のルールが一晩だけ崩壊し、女も男も、生者も死者も、神も悪魔も、混ざり合う──
それがサバトの夜なのだ。
中心にいるのは誰か?──再びバフォメット
この混沌の中心に、静かに座するのがバフォメットである。
彼/彼女は命令しない。怒らない。ただ統合された姿で在る。
男でも女でもなく、善でも悪でもない。夜と昼、天と地、肉体と精神の境界を超えた象徴。
魔女たちは、その前で自由になった。服従のふりをしながら、社会の枠組みを超越する。
バフォメットとは、自由と変容のアイコンなのだ。
なぜ私たちは“魔女の宴”に惹かれるのか?
21世紀の今も、人は「魔女のサバト」に惹かれてやまない。
それは、誰もが日常の中で抑圧を感じているからだ。社会的役割、性、倫理、道徳、肩書──
そういった“仮面”を一度すべて脱ぎ捨て、素の自分で夜の森を駆けたい。
バフォメットは、そういう人間の深い欲望を映す鏡なのかもしれない。
▶前回の記事:【バフォメットとは何か?】悪魔と山羊の象徴・角の意味を読み解く
【バフォメットとは何か?】悪魔と山羊の象徴・角の意味を読み解く
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