【ユディット記】旧約聖書外典より〜美女の剣と、信仰に貫かれた暗殺
古代メソポタミアの流域、いわゆる中東地域は、文字・宗教・国家といった人類文明の根が張られた「ゆりかご」の地である。
だが、今やその地名を耳にして思い浮かぶのは――乾いた荒野、砲火、宗教原理主義、首を切る黒装束の男たち。なぜこうも陰鬱なイメージが先行するのか。
今回紹介する「ユディット記」は、まさにその“首を斬る”物語である。だがそれはテロではない。信仰に根ざした、戦略的で高貴な殺人だった。
美貌と知性と信仰の女
時はアッシリアの覇権時代。ユダヤのある町が、アッシリア軍の総司令官ホロフェルネスによって包囲される。敵は町の水源を断ち、住民は飢えと渇きで死に瀕する。
祭司たちは神に縋り、5日以内に救いがなければ降伏すると決意表明をする。だが、そこに異を唱えたのが寡婦ユディットだった。
「神を試してはならぬ」――そう言って彼女は美しい姿に装い直し、自ら敵陣に乗り込んでいく。
敵の男たちは、晴れ着と香油に身を包んだ彼女の姿に圧倒される。司令官ホロフェルネスも例外ではなかった。彼女は降伏を装って宴に招かれ、二人きりとなる。
一撃
酒に酔い潰れて眠るホロフェルネス。ユディットは神に祈りを捧げた後、テント内の剣を取り、その首を両断する。
切り落とされた首は袋に入れて持ち帰り、城壁に掲げられる。指揮官を失ったアッシリア軍は混乱に陥り、逃走。その背後を味方が突き、勝利を得る。
この英雄譚は旧約聖書には含まれず、外典(アポクリファ)として記録されている。それでも文学・美術・宗教思想において、絶大な影響を残す物語である。
暴力と神話の地続き
私たちは現代において、斬首を「野蛮」「残酷」と捉える。しかし、かつては国家的な刑罰であり、神の意志と結びつく行為でもあった。
三島由紀夫が実行した壮絶な切腹と、不慣れな学生の介錯。あれはたしかに失敗で、首の断面は滑らかではなかったかもしれないが、動機においてはユディットに近い。
女性の手によって行われる首切り――それは性差を超えた「力と信仰」の象徴であり、まさに人間の最も深層に潜む儀式的な行為といえるだろう。
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