【人類滅亡】ノストラダムスの大予言の“その後”を生きる;あるいは愚直なる笑いの宇宙
前回の記事でノストラダムスの話をしたので、今回はその流れに乗って「人類滅亡」という少し物騒なテーマを真面目に考えてみたい。
もちろん「歴史の終わり」なんて壮大な話をする学識は筆者にはないが、誰もが口にしない、いや見ようとすらしない角度からこの問題に接近してみたい。むしろ、そういった視点を探し出すことこそ本稿の主旨である。
第一の対話:滅亡とは何か
以下、ソクラテス式問答法により進める。回答者は、天文学・哲学・SF妄想に強い(という設定の)ティマイオス氏である。回答スタイルはデカルトばりに明晰簡潔。
ソクラテス(以下ソ):「人類滅亡とは何か?」
ティマイオス(以下テ):「人類が全員、同時に死ぬことです」
ソ:「それは本当に起こるのか?」
テ:「はい。我々の存在が物質に依拠している以上、物質が変化を免れぬなら、いつか必ず消滅に至ります」
ソ:「でも映画ではいつもスーパーヒーローが世界を救う。つまり滅亡は起きないのでは?」
テ:「スパイダーマンもアイアンマンも実在しません。イーサン・ハントがCIAに本当にいるとでも? ましてや宇宙移住なんて、何でどこからその素材持ってくるんです?」
ソ:「でもかつて月面着陸もフィクションから現実になった。夢が技術を育てるのでは?」
テ:「過去に起きたことが、未来にも起きるとは限りません。それは思考の怠慢です」
第二の対話:滅亡はいつ起こるのか
ソ:「では、それはいつ訪れる?」
テ:「わかりません。ただ確かなのは、人々が“自分の死後に起きる”と信じていること。何百世代も先の話と決め込み、だから恐れない。彼らの会話からそれは明らかです」
ソ:「では、最も起こり得る滅亡のシナリオは?」
テ:「核兵器です。1発で大都市が壊滅し、経済と心理が連鎖的に崩壊する。気象にも深刻な影響が出て、大気圏の構造が壊れれば、数百年先に想定していた“地球環境の崩壊”が、たった数週間で現実になるかもしれない。つまり、“火による滅亡”です」
エピローグ:風呂と哲学
ソクラテスはしばし沈黙し、腕を組んで言った。
「ティマイオス、君は人類を軽蔑しているようには見えない。しかし、彼らが滅びるその時、君もまた彼らと運命を共にするのだ」
ティマイオスはにやりと微笑み、哲学者に背を向けて去っていった。向かう先は公共浴場。彼は湯に浸かりながら、先ほどの会話を反芻することだろう。あたかも反芻する牛のように、ゆっくりと。
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