哲学

【秘密曼荼羅十住心論】弘法大師〜感想紹介〜(第七回)

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外道

外道は仏教でいうところの意味は仏法以外の教え全般を指す。道を外れると書き、つまり正しいTao(タオ)とは荘子老子の哲学における無為なのである。少なくとも梵語を翻訳した三蔵らはその字を使用した。

法華経如来神力品にいかなる所苦楽いかなる時においても塔を建てて経を供養すべし、とあるように、すなわちそこは道場であり、仏道を求める者の為に、良くこの経を受持する者は仏道において決定し疑いなし、とある。

道場は三世諸仏が無上等覚を得る処である。仏教以外の一切を指す外道は『秘密曼荼羅十住心論』ではかなり下に位置する住心である。

無為

無為を志向し人為を貶すのは夏目漱石の作品に特徴が見られる。平安時代の人々はまだ中国のちゃんとした学問に依っていたので道を外れることは少なかったが、近代になるほどに西洋的な堕落が見られるのである。

西洋と中国の違いは、夏目漱石と三島由紀夫の違いに比べられる。まあよい。話を移そう。仏法というものは、荘子でも良いが、偉大だとか作為を賎しむ。例えを引く。

ベートーベンやワーグナーの音楽を例えてみよう。何十人も人を雇い、たくさんの高価な楽器を持たせて演奏させ、建築家の設計した会場で多くの人を招待し音楽を聞かせる。これが偉大なのか?

この、ゴタゴタした力んだ派手派手しい音をもってして偉大と言うのだろうか。荘子や仏法はそうではない。道とは最初からあるものだ。何か付け加える必要はない。

止観の禅定に入り聞こえてくる音、風、鳥、水、その他神鬼の立てる音、これこそが仏法だ。

二乗

外道とともにセットで言及される二乗とは。妙法蓮華経の名で知られる『法華経』の革新的なところはこの二乗なる概念を与えることである。そもそも二乗とは何か。大乗とは?乗は乗り物を指し、経の比喩にこの世を火事にあった家に例え、そこから救い出すための手段が乗り物である。

乗り物は三つある。声聞、縁覚、菩薩である。前二者をもって二乗と言う。これが貶される理由は、どちらも自分ひとりの悟りと安楽を願っているためである。

この世の巨大な罠と苦しみから逃れるだけでも大仕事である。二乗はその仕事で掛り切りであり、他者に手をのべる器量はない。例えれば声聞は神の声を聞いて学び行うヘブライの預言者や聖人、縁覚は辟支仏と言い隠者または仙人のような存在だ。荘子はこれである。

外道はこれよりもっと下のギリシャ哲学みたいな世界、ましてや世に溢れる名誉と利益を求めるたくさんの学者なんぞは凡夫といい前に説いた羊狗レベルである。

『秘密曼荼羅十住心論』は外道二乗はずっと下の方に置かれるのであり、その上の菩薩道ははるかに何段階もの上位がある。さてこの深い仏法の奥義とは、一体どんなものなのだろうか(以下次回に続く)。

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