全能性について〜ニルヴァーナ状態の実現のために

哲学

【全能性】について〜ニルヴァーナ状態の実現のために

旧約聖書

「全能」という言葉が最も多く登場するのは旧約聖書です。ヘブライ人が拝した神は「全能者」と呼ばれ、その全能性によって恐れられ、崇められました。

「創世記」では、神が世界を創造する様が描かれ、「出エジプト記」では、モーゼとアロンが神のみを味方にし、エジプト王を打ち負かす物語が語られています。

科学と人工物

人工物は科学の産物であり、消費されるものです。私たちが手にするMacやiPhoneなど、現代のテクノロジーを使うと、人類は何か途方もないものを発明したと感じがちです。

科学や人工物が非常に便利であるため、まるで人間が自然の造物主を超えたかのように思えるかもしれません。しかし、自然自体は科学や人工物の及ぶところではなく、驚くべき技術と法則で成り立っていることを忘れてはいけません。

元素と宇宙の構成

宇宙は目に見え、感覚されるものとして広がり、その構成単位は元素です。生物の体も、細胞という単位から成り、その細胞も元素でできています。

元素は分子からなり、分子は原子を構成し、原子は原子核と電子で成り立っています。科学は核融合反応を操るまでに発展し、核爆弾や原子力エネルギーを生み出しました。

この核融合反応こそが、世界を創造した「神の力」であるとも考えられるのです。ミルトンの『失楽園』では、悪魔を滅ぼすキリストの雷撃が神の力として描かれています。造物主は、混沌とした素粒子の状態から驚くべき秩序と構造を与え、世界を創造したのです。

●関連リンク:ジョン・ミルトン『失楽園』レビュー

まとめ

科学の見解と神学者や古代教父の意見は一致している部分が多く、科学者が無神論を主張することが誤謬に陥る可能性を指摘することもできます。

ここまで「全能者」について述べてきましたが、次に「全能」とは何かを考えてみましょう。全能者が何もできないことがないのであれば、一体どんなことが可能なのでしょうか?

造物主を「神」と呼ぶことに異論はないでしょう。神は「善」である以上、人間のような愚劣なことは一切しないと考えられます。全能性は善きことのみにはたらきますから、結論として「善なることならば何でも可能」ということになるのです。

ニルヴァーナと全能性

人間の最も大きな望みは幸福を感じることです。これはアリストテレスの『ニコマコス倫理学』にも書かれています。そして、究極の幸福とは”ニルヴァーナ”の状態であり、これは男女結合のような状態だとも解釈できます。

全能者は、生老病死に支配された肉体を超え、不滅・無病の身体を人間に与えることができ、物質世界の束縛から解放することができるのです。

さらに、神は高次元の領域で、人間に至福の体験をもたらすこともできるでしょう。これを「ソープ・キリスト」と名付けることもできます。

●関連リンク:アリストテレス『形而上学』レビュー

コメント

タイトルとURLをコピーしました