きっかけ
20年以上前、私のチベット仏教知識の元である川崎信定訳『チベット死者の書』解説を読んでこの本の興味を持ったのが最初だった。
そこに”アジア全域に流布された脱魂伝奇説話として有名なものに、インドの『ヴェーターラ・パンチャヴィンシャティカー(屍鬼二十五話)』がある。”云々と書かれていた。
平凡社では「東洋文庫」というシリーズを1950年代ころからやっていてまだ続行中らしいが、この昭和53年323号発刊が『屍鬼二十五話』だ。大抵の図書館には置いてあるはずの東洋文庫には、「アラビアン・ナイト」はもちろん、一般にはよく知られていないような珍しい邦訳が多くある。
説話集
「鸚鵡七十話」とともに、中でも掘り出し物の傑作がこれだ。ゲーテなどにもカバーされており世界各国で翻訳されていながら、日本でその名を知る人が果たしてどれくらいいるだろう?
”説話”と呼ばれるだけあってこれらの物語はただ単に面白いのみならず、仏教的な教訓をそれぞれ含んでおり学ぶところも散りばめられている。
妖怪はひとつ物語を語って聞かせるたびに謎解きを迫り、それが解けなければお前の頭は粉々に砕けてしまうぞ、と脅かすのだ。
あらすじ
あらすじはある悪い修行僧が超能力を得るために、暗黒の夜、墓地で血の魔法円を描き、屍鬼(ヴェーターラ)の召喚を実施しようとしていた。その修行僧は毎日王宮に宝を送り届けて勇敢な王の関心を買い、まんまと王を企みに引き込んだのだ。
王は真夜中の不気味な儀式を手伝わされる。つまり”樹に引っかかっている死体”を担いで魔法陣まで運んできてくれというわけだ。というのはこの死体に屍鬼が取り憑き、術者を邪魔するからである。
この大役を任された王は何度も死体を背負って墓地を歩き続ける。屍鬼が乗り移った死体はひとつ物語をするたびに元いた樹に舞い戻ってしまう。
大団円
第24話を語り終えた時、屍鬼は王に関心し、修行僧の謀りごとを明かす。つまり彼は王を利用した後殺して妖魔に捧げる気であったのだ。屍鬼はこれを知っていたから、王を止めようとして何度も樹に舞い戻ったのであると。
さて王は屍鬼に教えられたように行動した。死体を修行僧のいる場所へ届けると王は礼拝の見本を見せてくれと頼み、悪の行者がひざまづいて拝むや剣で首を切り落とした。代わりに進行していた魔術の効力を王が引き継いで、見事王は神通力を得たのだった。
感想
一個一個が独立して読める短いウィットの効いた説話の形態を成しており、飽かずに読むことができるだろう。背景が不気味な墓地というのもワクワク感を増大させる。
インド神話がたくさん随所に散りばめられていて知識にもなり、注釈も充実しているので非常に有意義な読書体験になることは疑いない。