三島由紀夫『豊饒の海』レビュー(前編)|「春の雪」「奔馬」の要約・感想と転生の思想

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三島由紀夫【豊饒の海】まとめ(1)〜「春の雪」「奔馬」レビュー・解説・感想

三島由紀夫が1965年から1970年、自決の日までをかけて執筆した大長編『豊饒の海』は、全4巻からなる壮大な文学的実験である。構想は輪廻転生を主軸に据え、日本的美意識と死生観が緻密に織り込まれている。

本記事では第1巻「春の雪」と第2巻「奔馬」を中心に、あくまで客観性を重視したレビューと簡潔な解説を行う。

■『豊饒の海』という構想

『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』から成る全4巻は、前3巻がそれぞれ文庫で約500ページ、最終巻はやや短めの340ページ程度。小説は各巻ごとに異なる時代・人物を描きつつも、転生の鍵を握る主人公=観察者、本多繁邦が一貫して登場する。

各巻の“主役”は皆、20歳で死ぬ若者たち。彼らは前世の記憶をうっすら引き継ぎながら、この現世を駆け抜けていく。本多はその姿を観察し続ける“ワキ”であり、彼の視点によって物語は展開する。

■第1巻『春の雪』〜宮廷的エロスと破滅の恋

主人公・松枝清顕は、容姿・家柄・教養すべてに恵まれた貴公子。彼が幼なじみである侯爵家の令嬢・綾倉聡子と交わす悲恋が、この巻の中心である。雅やかな宮廷文化が色濃く描かれ、文章はとにかく優美で詩的。

清顕の左わき腹には三つの黒子があり、これは後の転生を示す印として重要なモチーフとなる。また、彼は夢日記をつけ、それを親友・本多に託す。これは全巻を貫く〈記憶〉と〈予兆〉の象徴でもある。

聡子が皇族に嫁ぐこととなったことで、二人の関係は許されないものとなる。式の直前、二人は密かに宿屋で一夜を共にするも、聡子は妊娠し、その後中絶・出家の道を選ぶ。清顕は会うことも叶わぬまま、恋煩いのようにしてこの世を去る。享年20。

◎補足と解釈

この巻にはバタイユ的エロス=禁忌と死の結びつきが色濃く感じられる。清顕は愛を成就させるよりも、「不可能なもの」としての恋を希求し、結果的に死に至る。

また巻末には、タイトル『豊饒の海』の意味が「月の海=Mare Fecunditatis」に由来するとの注釈がある。これは三島が愛した“月光と海”のイメージに通じつつ、実は何もない虚無の象徴でもあるという皮肉な側面も含んでいる。

→ 参考:【ジョルジュ・バタイユ】エロティシズムと死

→ 参考:マルグリット・ユルスナール『三島あるいは空虚のヴィジョン』レビュー

■第2巻『奔馬』〜切腹と昭和維新の幻想

30代となった本多は裁判官として働く中、剣道の催しで出会った凛々しい青年・飯沼勲に強く惹かれる。彼は清顕の生まれ変わりであり、かつての書生・飯沼の息子でもある。勲の左脇腹には、清顕と同じく三つの黒子があった。

勲は神風連に傾倒し、日本を正すべく政治家の暗殺と切腹による「昭和維新」を夢見る。かつての2.26事件を彷彿とさせる青年将校のような思想に取り憑かれ、同志を集めて計画を進める。

だが父の密告により計画は露見。裁判で本多は弁護士となって彼を救うも、勲は再び抜け出し、単独で暗殺を決行。任務を果たした後、追っ手から逃れるようにして、波打ち際で切腹して果てる──享年20。

◎補足と解釈

勲の死には、三島自身の“死に様への憧れ”が色濃く投影されている。美学としての死、目的化された切腹。死をもって理想を示すという倒錯は、まさに『憂国』『英霊の声』『葉隠入門』へと続く三島作品群の核心に通じている。

→ 関連記事:和田克徳『切腹哲学』レビュー

■つづきはこちら

『暁の寺』『天人五衰』レビュー・解説・感想

【三島由紀夫】作品レビューまとめ

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