ヘシオドス『仕事と日』――神話と天文
紀元前7世紀ごろ、ホメロスと並ぶ古代ギリシャの詩人ヘシオドスが残した『仕事と日』。『神統記』と並ぶ代表作として知られ、神話や農業の教訓詩である本作は、現代の私たちが読んでも驚くほど面白く、風刺と洞察に満ちている。
神話や天文の知識がふんだんに織り込まれており、読みながら付箋を貼りまくっていたら、あっという間に本がカラフルになってしまった。岩波文庫の邦訳だと異様に高いので、『神統記』とセットになった洋書版を購入した。
“ニート”ってなんだっけ???
現代人は「仕事をしているか、していないか」で分けられがちだ。世界中で働いている人たちの中には、過酷な労働環境のもとで安い賃金に甘んじ、精神的・肉体的にすり減っていることも少なくない。
世界の資産の半分以上を保有している、全人口のほんの数パーセントの“超”富裕層にとっては、仕事とは一体何を指すのだろうか。彼らの持っている「金」とは、すでにコンピューターの中にしか入りきらないほどの莫大な額なのだろう?
一方、金はないが働いていない人たちは「ニート」などと呼ばれていた。いや、まだそんな呼び名が残ってる?病気療養中の人もいれば、ただ意欲が湧かない人もいる。ヘシオドスの『仕事と日』は、そんな自称「怠けている」人たちへの一種の檄文でもある。
「労働は恥ではない。恥ずべきは、働かぬことだ。
お前が働き始めれば、怠け者どもはすぐに羨むようになるだろう。
富には、名誉と栄光が伴うのだから。」
ヘシオドスが言う“労働”とは、星を読み、季節を見極め、耕作し、収穫すること。現代のように「まず職安へ」などという煩雑なステップは不要で、やる気と鍬さえあれば始められる。時代は違えど、「怠けるなよ」という基本スタンスは変わらない。
一言で言えば、“農業”が仕事なのだ。狩りではなく。つまりこれは古代の<農業マニュアル>だ!
古代の天文学と農業カレンダー
「アトラースの娘たるプレイアデスが昇る頃に刈り取り、
沈む頃に耕すのだ。」
これは、星座の出没を季節の目安とする一節。古代ではこのように、天体の動きが農作業のカレンダー代わりになっていた。
プレイアデス(日本では「すばる」)は、牡牛座にある目立つ星団で、赤く輝く一等星アルデバランの近くに位置する。星座の“昇る”とは、夜明け前に東の地平線に現れること(heliacal rising)であり、“沈む”とは反対に、日の出前に西へ沈むこと(cosmical setting)を意味する。
注釈によれば、古代の観測ではプレイアデスの昇りは5月11日、沈みは10月末ごろに対応していた。
さらに、次のような叙述も印象的だ。
「冬至の後、60日の時を経たとき、
アークトゥルス星が黄昏の空に輝きながら昇る。」
これは“acronychal rising(薄暮時の昇星)”を指しており、星座を通じて自然と暦を読み解く古代人の知恵が伝わってくる。
古代の暮らしの知恵(とツッコミどころ)
ヘシオドスの教えには、「ちょっと真面目に受け取れない」ような、面白おかしい生活指針も登場する。
「陽に向かって立ったまま放尿してはいけない。
そして日が沈んだあとは、再び昇るまでの間、
道でも道の外でも歩きながら尿をするべきではない。
前をはだけてもいけない。夜は神々のものなのだから。」
分別ある大人は、しゃがんで静かに、あるいは中庭の壁の影で済ませよ――とのこと。つまり、太陽も、星も月も、日本で“三光”と呼ばれてきたものは、この時代のこの国においてもやはり神だったということだろうな。
さらに結婚に関してはこんな記述も:
「妻を迎えるのは30歳手前が理想だ。
女は成熟した4年目から5年目が良く、
近所に住んでいる娘が望ましい。
ただし、近所の笑い者にならぬよう慎重に選ぶこと。」
遠くから嫁をもらうにせよ、鉄道も走っていないし、SNSもないんだから当然だよな。そもそも「近所」って、家から何キロまでなんだろ。
倫理?時代背景?どちらにせよ、千年前の古典が発するユーモアや価値観には、読み手の側も覚悟が必要である。
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