チベットの死者の書とヤブユムの真意|第1日目の幻視と解脱の教え

疑似学術地帯
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【チベットの死者の書】川崎信定訳・第1巻第2章「チョエニ・バルドゥ」第1日目

『チベットの死者の書』を抜きにしてチベット密教は語れない。川崎信定氏による緻密な翻訳と註解が施されたちくま学芸文庫版を参照しつつ、第1巻第2章「チョエニ・バルドゥ」の第1日目について考察する。

曼荼羅とチョエニ・バルドゥ

本書には3種のバルドゥ(中有)――チカエ・バルドゥ(死の瞬間)、チョエニ・バルドゥ(法の中有)、シパ・バルドゥ(再生の中有)が記述されており、今回注目するのは2つ目の「チョエニ・バルドゥ」である。

この中有においては、最初の7日間に寂静尊が、次の7日間に忿怒尊が現れ、死者に対して幻視のように姿を見せる。これらの図像は現代でも「タンカ(仏画)」の主題となっており、曼荼羅のヴィジュアルソースとしても知られている。

男女両尊とヤブユム図像

「曼荼羅」や「チベット仏教 男女結合」といったキーワードで画像検索すると、男女の仏が交合する姿、いわゆる「ヤブユム(父母仏)」の図像に出会う。これらは性的象徴をもつが、単なる性的表現ではなく、智慧(男性)と方便(女性)の合一を意味する深い象徴体系である。

世俗的な倫理感から拒絶されがちなこれらの像も、仏教哲学における「煩悩即菩提」の核心を体現する存在である。

第1日目のヴィジョン

第一日目、密厳仏国「ティクレェダルワ」より、寂静尊であるヴァイローチャナ如来とその相(アーカーシャダートゥヴィーシュヴァリー)が現れる。

彼らは互いに抱擁し接吻する姿で現れ、強烈な光とともに死者の前に出現する。この光は「叡智の光」であり、死者にとっては恐怖の対象となるが、真に受容すべき解脱の光明である。

導師の声と瞑想的救済

死者が幻視に圧倒される中、導師は本書に記された言葉を耳元で唱え続ける。これにより死者の心は幻覚を現実と見なす誤認から解放され、「解脱」へと導かれる。

性欲と解脱という一見矛盾する要素が、ここでは象徴的に結合されている。欲望を否定するのではなく、正しく受容することによって超越する――それがチベット仏教の立場である。

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