マンディアルグの戯曲には他に「世紀の最後の夜」「イザベラ・モラ」があるが、本作も含めていずれも未邦訳。これらをフランス語で読むのはマニアックな趣味に入るだろう。
しかも「アルセーヌとクレオパトラ」は絶版なのか価格が高い。「イザベラ・モラ」は売ってすらない。
この作品は1981年発表の戯曲;原文は文字も大きくとても読みやすいので、興味を持たれた方はご一読してみても良いかも。では内容の紹介といこう。
あらすじ
パリの駆け出しだがクレオパトラを演じて人気が出た若い女優、ロジーヌ・ピンクが部屋で目覚めるところから始まる。アパートは取り壊し寸前の老朽した家屋で、サン・アントワーヌ通りの袋小路のどん詰まりにあり女優はその2階に住んでいる。
ひとくさり自己の不眠症について口上を述べた後、窓から侵入者の気配がする。アルセーヌが外壁の蔦をよじ登り、鍵がかかっていない戸を開けて部屋に降り立ったのだ。
構成
この劇には1幕しかなく、したがって始終ロジーヌの部屋で話が進む。登場人物はこの二人のみという、三島由紀夫の「サド公爵夫人」的手法の極端な表現である。三島のような劇の場合、凝りに凝った台詞で観客を魅了するしかないのだが、本作はそれほど凝っているわけではない。
これが上演されたら退屈でお客が帰ってしまいはしないかという心配すら読者が感ずるほど、二人のやり取りは平凡さに落ち込もうとする。その原因はアルセーヌにある。ロジーヌが完璧に自分の役にはまり込んでいるのに対し、彼は不器用で気が利かないあまりにも真面目な青年なのである。
女優の技巧
とこのような劇なのだがこれは作者があえてそのように構築した筋書きなのか、自動筆記しながらついそうなってしまったのかは定かでない。アルセーヌはパリでも人気の、しかも若いクレオパトラの女優を殺害することにより、逮捕され社会から退去することを願っていた。
つまり彼は女を殺しに来たことを宣言し、「あんたを殺す」を連発する。一方ロジーヌは役者である;このままでは劇がダメになってしまうとばかりに、下手くそなアルセーヌの言い回しをカバーする。数々の親切な忠告で彼の女優殺害の固定観念を除去しようと努めるも、一向に成功しない。
やがて劇は終わりに近づき、彼女は引き出しからそっと小さなリボルバーを取り出す。。最後に流される血は女優のではなく、殺し屋を装った青年のそれであった。二発弾丸を打ち込まれアルセーヌは死んで倒れる。ロジーヌは正当防衛が揺らぐことを少し懸念しつつも警察に電話する。
ぶっきらぼうにベッドに横になり、受話器から録音された答えが繰り返される;「警察です。切らずにそのままお待ち下さい」そして幕が下がる。。
まとめ
アルセーヌの考えを変えるためにロジーヌは多くの言葉を投げかけ、劇を何とか続行させるのだが、例えば花時計について、動物園のこと、植物園のこと、地下鉄のホームでの出会い、白い服を着た妖しい聖職者風の男に連れて行かれ3人の黒人たちに犯されたことなど。
媚態を示しベッドへ誘おうとも試みた。結局聖職者風の男からもらったリボルバーが、侵入者の息の根を止めた。若い青年は最後まで「殺す」という固定観念を捨てられなかった。彼女の提案に沿い、部屋の外へ出て夜明けの街並みを歩くことも地下鉄に乗ることも、快楽に身を沈めることさえ出来なかった。
女優の部屋が彼の墓場となり、女を殺すことは出来なかったとしてもこの世界から退去することは叶ったのだし、これで目出たしで良いではないか。