バフォメット再考──山羊はなぜ境界を越えるのか?
序:縁(ふち)を生きる動物
山羊は崖の 縁 に立つ。草木の届かぬ岩肌を選び、平地の常識を軽々と裏切る。
象徴としての山羊は、古来「境界(リミナル)」の動物だった。性と禁欲、聖と俗、上(山)と下(谷)──そのあいだを跳び越える身体。
近代オカルティズムが バフォメット に山羊の顔を与えたのは、偶然ではない。境界を越える者こそ、秩序の影を照らす“案内人”だからだ。
1. 山羊が運ぶ四つの象徴
① 性欲・多産
繁殖力の強さ、独特の匂い、角突きの闘争。山羊はしばしば性の過剰と結びつく。古代ギリシアのパン神やサテュロス像が山羊的特徴を帯びたのは、自然の生殖力そのものを図像化したからである。
② 跳躍=越境
不安定な足場を好む身体性は、「禁域を越える」身ぶりの象徴となった。村の外、神域の手前、山と里の狭間──山羊は常に境界線に出現する。
③ 山岳=高所性
山は神の近さと同時に、荒ぶる風・稲妻・獣の領分。山羊は「高み(スピリチュアル)」と「荒野(プリミティブ)」を二重写しにする動物だ。
④ 異界の媒介
角・鬣(たてがみ)・蹄という“異形性”は、人間のかたちをゆるやかに逸脱させる。シャーマニズム的想像力は、しばしば山羊の仮面を通じて他界への通路を開いた。
2. 羊と山羊──キリスト教図像学の分水嶺
同じ家畜でも、羊 は群れの従順・無垢・犠牲を象徴し、山羊 は分離・逸脱・荒野を帯びる。
『マタイ25章』では最後の審判で「羊は右、山羊は左」に分けられる。ここでの山羊は、共同体から 分かたれる者 の図像だ。
さらに『レビ記16章』の贖罪儀礼では、二頭の山羊が一頭は神へ、一頭は荒野へ追放される(いわゆる スケープゴート)。罪を 背負って境界外へ去る 山羊は、共同体の内外を横断する“搬送体”として描かれた。
つまり山羊は、共同体の秩序を護るために、秩序境界を越えて 汚れを運ぶ 役回りを担う。
3. 魔女の山羊──境界の祝祭
中世末から近世にかけての想像界では、魔女のサバトに山羊が頻出する。乗騎として、あるいは角ある主(サバトの王)として。
そこでは祝別と冒涜、祈祷と呪詛、聖餐と黒ミサが鏡合わせになり、境界が意図的に撹拌 される。
山羊は、その撹拌の 媒介者 であり、世界の裏表を往還させるスイッチとして配される。
4. バフォメットの構成──越境のアナトミア
19世紀の神秘思想家エリファス・レヴィが描いた「メンデスのバフォメット」は、単なる怪物ではない。図像は緻密な“越境の設計”だ。
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両性具有:胸は女性的で下腹は覆い隠され、統合未満の未決定性を保つ。
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両腕の銘:右に SOLVE(分離)、左に COAGULA(凝集)。分解と合一を往復させる魔術的ダイナミクス。
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角の間の松明:上昇する意識=知性の火。動物性の額に“理性の灯”を据える逆説。
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翼と蹄:天の徴と地の徴を同時に帯び、上界と下界の境界を跨ぐ。
つまりバフォメットは、性/知/霊/物質の 接合点 として構築された“越境の身体”である。
5. なぜ逆五芒星に収まるのか
逆五芒星の五点は、山羊の 角・耳・顎 にぴたりとはまる。幾何学としての適合以上に、この配置は象徴の 反転 を視覚化する。
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通常の五芒星:上点=霊(spirit)、下の四点=四元素。霊が物質を統御する図。
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逆五芒星:下点が強調され、物質が霊を牽引 する配置に転じる。
バフォメットが逆五芒星に収まるのは、動物性/物質性を 入口 にして霊を“引きずり下ろす”象徴論に合致するからだ。
境界を越えるとは、上から下へ、または下から上へ 片道 ではなく、往復 を成立させること。バフォメットは、その往復運動を体現する“可動橋”である。
6. 山羊の哲学──影と統合
山羊の顔をした神を「悪魔」と断ずるのは容易い。しかし象徴はもっと精緻だ。
山羊は 異物の運び手 として共同体の外部へ罪や穢れを 輸送 し、儀礼の場では秩序の 更新 を補助する。
バフォメットは、野性へ堕ちる誘惑と同時に、分解(solve)を経て再統合(coagula)へ向かう回路 を指示する。
越境は破壊であると同時に、創造のための条件でもある。
結語:縁に立つ知性
崖の縁で踏みとどまる山羊は、落下と上昇のあわいで生きる。
バフォメットは、その縁に 灯 をともす図像だ。
私たちが日常の秩序を保つには、時に境界を越え、影と交渉し、分解と再統合の往復を受け入れねばならない。
逆五芒星の山羊は、堕落の徴ではなく、境界を自覚する知 の肖像でもある。
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