映画『アレクサンドリア』レビュー|レイチェル・ワイズが演じるヒュパティアと古代哲学

哲学的偏見

映画『アレクサンドリア』レビュー|レイチェル・ワイズ演じる美しき女哲学者ヒュパティア

先日、古代アレクサンドリアの女性学者ヒュパティアについて記事を書いたばかりだが、無性に映画も観たくなり、『アレクサンドリア(原題:Agora)』を改めて視聴した。

率直な感想を言うと──「良作」。とくに今回は天動説や古代宇宙論に関心をもっていたタイミングだったこともあり、非常に楽しめた。

史実を忠実に再現しているわけではないので、あまり細部にツッコミすぎず「こういうこともあったのかもしれない」と思いながら観ると、教養としても面白い。

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主要登場人物とキャスト

  • ヒュパティア(レイチェル・ワイズ):哲学と天文学を教える女性学者。実在の人物。
  • オレステス(オスカー・アイザック):元教え子。のちにアレクサンドリアの長官となる。
  • シュネシオス:かつての生徒で、キュリロスの時代には主教となっている。
  • ダオス:ヒュパティアに仕える奴隷の若者。フィクションだが、ドラマ性の核を担う。

オスカー・アイザックは『スター・ウォーズ』新三部作のポー役でおなじみ。シュネシオス役の俳優は『高い城の男』でフランクを演じていた人物で、どことなくブラッド・ピット風。

美しく誇り高き哲学者ヒュパティア

ヒュパティアは、見た目にも知性にも恵まれた女性だったが、恋愛や結婚に関心はない。彼女はあくまで哲学者であり、誰の所有物にもなりえなかった。父であり図書館長のテオンも、その生き方を理解していた。

オレステスの求婚も断り、ダオスの淡い想いも決して受け入れられることはない。ダオスは彼女への忠誠と信仰のはざまで揺れ動く若者として描かれるが、ある種の青春の投影にも見える。

アレクサンドリア図書館と彼女の最期

暴徒による図書館の破壊、父の死、そして孤独な研究の日々──ヒュパティアには不穏な影が迫っていた。キリスト教が支配力を強め、異教的知識や哲学が異端とされていく中、彼女は標的とされる。

史実では、彼女は裸にされ、生きたまま牡蠣の殻で肉を削がれたうえで火にかけられたと伝わる。しかし映画では、ダオスが密かに彼女の首を絞めて失神させ、苦しませずに死なせたという描写に変更されている。

シュネシオス、オレステス、ダオス──かつての教え子たちは、誰一人ヒュパティアを救うことはできなかった。

天文学と宇宙へのまなざし

本作にはアリストテレスの宇宙観、プトレマイオスの天動説、さらにはケプラーの法則に至るまでの天文学的テーマが詰め込まれている。アリスタルコスの地動説も言及され、学術的にも楽しめる構成だ。

カメラが都市から上昇し、宇宙から地球を見下ろすような映像は、まさに“観測する意識”を視覚化しており、監督の宇宙観がよく表れている。

宗教、暴力、そして広場の意味

映画におけるキリスト教徒は、現代の隣人愛とはほど遠い「暴徒的カルト集団」として描かれている。史実とのバランスを考えるとやや偏りはあるが、それゆえにヒュパティアの知性と自由の精神がいっそう際立つ。

タイトルの「アゴラ(Agora)」とは、古代ギリシャ語で「広場」の意味。そこは議論と暴力、自由と抑圧が交差する場であり、象徴的なタイトルとなっている。

まとめと所感

主演のレイチェル・ワイズは知的で美しく、役柄にぴったり。彼女の品格ある演技は、ヒュパティアという人物像に厚みを与えている。少しだがヌードシーンもあり、演出としても抑制が効いている。

ヒュパティアの死は、古代における“知”の終焉であり、同時に新たな暗黒の時代の到来を予感させるものでもある。彼女の人生は、そのまま世界史の大きな転換点を象徴している。

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