三島由紀夫『仮面の告白』レビュー|同性愛と文学の倒錯美、元少年A『絶歌』との比較考察

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三島由紀夫『仮面の告白』レビュー|元少年Aの「絶歌」と比較して見える文学と狂気

原点としての『仮面の告白』

三島由紀夫の長編デビュー作『仮面の告白』は、戦後日本文学における鮮烈な一撃であった。戦後まもない時期に、ホモセクシュアルな語り手による自己告白体の小説が登場したというだけで当時はスキャンダラスだったはずだ。ちょうど村上龍が『限りなく透明に近いブルー』で登場した時のような衝撃に近い。

冒頭の疾走感と後半の失速

冒頭の文体は凄まじい。若き三島が自らの異端性と美意識を剥き出しにして疾走する。退廃と耽美の香りが濃厚で、ローマ皇帝ヘリオガバルスやマルキ・ド・サドの影響も濃く、まさに澁澤龍彦やバタイユ的な「闇の美学」が噴出している。

だが、期待に反して物語は後半失速してしまう。序盤の狂気に満ちた描写から、ただ同性愛と異性愛の間で揺れる内省的な青年の話へと収束していく。これについては本人も回顧録『私の遍歴時代』で「長編の配分に慣れておらず、終盤は体力切れだった」と述べている。

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倒錯と空想の止まり木

この作品の語り手は、血の匂いや筋肉質の男性、ハゲ頭のバス運転手にまで欲情しながらも、決して行動には移さない。ただ内面での妄想と葛藤が描かれる。実行に至らないその慎重さ・潔癖さが逆に文学的緊張を生んでいる。

だが現代の読者にとっては、「それだけ?」と肩透かしを食らうかもしれない。現在の文学や映像メディアでは、より過激で生々しい表現が日常化しているからだ。

『絶歌』との比較

1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件の加害者“元少年A”が出版した告白本『絶歌』の方が、ある意味では遥かに倒錯し、狂気を孕んでいた。仏壇の前で形見のバイブを使い、猫を解剖し、殺人と射精が結びつく――そんな内容が平然と描かれていた。

『仮面の告白』は、あくまで文学の中での倒錯であり、現実には踏み込まない。だがその“踏みとどまる力”こそが、文学としての品格を保っているのかもしれない。

まとめ:若き三島の才能と限界

『仮面の告白』はその文体の格調高さ、語彙の豊かさ、構文の美しさで日本語の持つ可能性を示してくれる。ただし、内容に関しては期待しすぎない方がいいかもしれない。異常性や倒錯を追い求めるなら、現代にはもっと過激な作品があふれている。

それでも本作は、三島由紀夫という稀代の作家の出発点として読む価値がある。青年の美と苦悩の記録として。

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