【閉ざされた城の中で語るイギリス人】マンディアルグ作品から考察する精神的な「閉鎖」についての論考
題名と仮面の作者
アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグの異色作『閉ざされた城の中で語るイギリス人』は、フランス文学史における一種の“禁書”として知られる。初稿の段階では単に『イギリス人』とされ、さらに草稿段階では主人公の名を冠して『モンキュ』と題されていた。マンディアルグはこの作品を偽名「ピエール・モリオン」で出版している。
「人は一度、自分の名前では書けない作品を書くべきだ」――マンディアルグの言葉には、文学における〈自己の放逐〉と〈欲望の解放〉という矛盾した二重性が浮かび上がる。
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閉ざされた空間と欲望の形式
この小説において重要なのは、内容の過激さよりも、**舞台となる「閉ざされた空間」**である。満潮時には外界との通路を失う海上の要塞。誰も近づけないその隔絶性こそが、主人公たちの欲望を肥大化させ、現実の倫理とは無縁の“仮想空間”を生み出す装置となっている。
この設定は、サドの『ソドム120日』の「シリング城」や、マンディアルグ自身の『大理石』における幻想的舞台と並び、“精神の封鎖”が幻想を肥大させる典型といえる。
欲望と暴力――象徴的読み替えとして
サドの作品や、フランス前衛ポルノにおける児童描写や母性破壊といったテーマは、現代においては倫理的に扱いが極めて困難である。しかし、それをあえて象徴的に読み替えるとき、それらの描写は「人類繁殖」や「社会制度」そのものへの反抗、つまり文化装置としての〈家族〉や〈子孫繁栄〉への破壊的な問いとして立ち上がる。
暴力の本質は行為の過激さではなく、その背後にある否定のエネルギーにある。サドやマンディアルグのような作家は、その力を最も過激な物語形式に投影したにすぎない。
精神の閉鎖と宗教的比喩
ここで注目すべきは、これらの作家たちが描く“閉鎖空間”が、逆説的に精神の浄化や救済と結びついている点である。仏教においては「亀が甲羅に手足を引っ込めるように、自己の粗雑な想念を封じよ」と説かれる。つまり閉鎖は、外部の雑音を断ち、内奥の真実へ至る儀式でもあるのだ。
マンディアルグの海上要塞も、サドの山奥の城も、あるいは魂の脱構築と再生のための“イニシエーションの場”と捉えることができる。
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