【ウィルス】の「正体」について〜現代的異端悪魔神学とポエジーによる分析(1)
Serré, fourmillant, comme un million d’helminthes,
Dans nos cerveaux ribote un peuple de Démon,
Et, quand nous respirons, la Mort dans nos poumons
Descend, fleuve invisible, avec de sourdes plaintes.
— ボードレール『悪の華』「読者へ」
イデア
この世界には「正体不明」のものが数多く存在する。たとえば人間。あるいは地球、陸地、海、空。私たちの視覚、聴覚、その他の感覚そのものも。
たとえば“人間”。人種、言語、文化が異なっても「人間」である以上、どこかで共通しているとされる。しかし、それならばそもそも「人間とは何か」という問いはどうなのか? 昭和の文学青年じみた問いだと一蹴できるか――いや、むしろ本質に迫るにはこのような問いこそ不可欠ではないのか。
おそらくソクラテスならこう言うだろう。「人間は人間であり、馬ではない」。アリストテレスも同意する。「なぜなら人間と馬は異なる属性を有し、互いに置換不能だからである」と。
この「等しい」や「異なる」という概念――プラトン哲学におけるイデアの中核だ。それは「似ている」「似ていない」「同じ」「違う」といった、極めて日常的な感覚の背後にひそむ、抽象的で普遍的な構造である。
(仮にこの「有・同・異・似・不似・等・不等」といった根本カテゴリーを真に学ぶとしたら、義務教育の全時限をまるごと捧げても足りないかもしれない。)
『箴言』
さて、現在も人類の生活に大きな影響を与える新型コロナウィルス。この「ウィルス」とは何なのか? 軽くネットで調べるのも一案だが――筆者としては、これは悪魔が微細な姿へ変化し、世界を跳梁しているのではないかという見解に至った。
「バカバカしい」と笑う前に聞いてほしい。以下は詩人や神学、聖書に見出される、かつての知の遺産に根ざす仮説である。
主を畏れることは知識の始まり、
愚か者は知恵と訓戒を侮る
— 『箴言』1:7
『失楽園』
ミルトンの『失楽園』では、神に反逆した堕天使たちが天界を追放され、地獄に墜ちる。そして彼らが最初に建てたのが万魔殿(パンデモニウム)である。そこでは悪魔たちが巨大な姿から蟻のように小さなサイズへと自在に変化し、議会へと集合する。
サタンとその側近たちは通常サイズで王座に座るが、その他の悪魔たちは物質的制約を受けず霊的存在として振る舞う。すなわち、物質の中をすり抜け、人間の感覚では感知できない。
この可視不可視の自在性、小さくなって集団で人間に影響を与える姿――ウィルスの特徴と驚くほど一致するではないか?
ポエジーと神学
冒頭に引用したボードレールの詩にも、こんな描写がある。
「我らの脳内に、無数の蠕虫のようにうごめく悪魔の群れがいる」
これが単なる詩的誇張だろうか? それとも、現代科学がいまだ触れえない、深層の現実への洞察ではないのか?
詩人たち――ミルトンやボードレール――は、常人には見えぬものを見る力を持っていた。彼らの目は、死すべき者の感覚の限界を超えていた。そうであれば、ウィルスが「悪魔」であるという視座もまた、完全に突飛とは言いきれないはずである。
(以下、次回へつづく予定)
【緊急事態宣言】に寄せて〜「新型コロナウィルス」に対する政府の対応について思うこと
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