ワイルド『サロメ』考察|銀の皿にのせた預言者の首——王女の妖艶で残酷な欲望
新約聖書「マタイによる福音書」第14章および「マルコによる福音書」第6章に記された、衝撃的な逸話をもとに、19世紀末のイギリス作家オスカー・ワイルドは1幕の戯曲『サロメ』をフランス語で執筆した。
聖書には「ヘロデ王の娘」としか記されていないが、学術的研究によりこの娘は“サロメ”と同定された。彼女の父ヘロデ・アンティパスは、救世主イエスの誕生の噂を聞いて男児を皆殺しにしたとされる残忍な王として知られている。
預言者ヨカナーン(バプテスマのヨハネ)
イエスの出現に先立って、荒野で神の言葉を叫び人々に悔い改めを促した預言者がいた——バプテスマのヨハネ(ヘブライ語ではヨカナーン)である。彼は若く、美しく、高貴なオーラをまとい、王ヘロデの恐れを買い、宮中の水槽の中に幽閉されていた。
サロメは彼の姿に欲情し、媚びるように語りかける。「あなたの唇にキスさせて……その唇は、なんてふくよかで美しいのでしょう!」しかしヨハネは彼女を拒絶し、穢れた女として強く呪う。嫉妬に狂った一人の家臣は、その場で剣を抜き自害する。
魔の月と踊りの約束
ヨハネはふたたび水槽に閉じ込められ、ヘロデ王は祝宴の場へと姿を現す。そこには、さきほど命を絶った男の血がまだ生々しく残り、王の足を滑らせる。空には死者のように赤く輝く不吉な月が浮かび上がる。悪兆に怯えた王はサロメに踊りを求めた。
同席していた妃ヘロディアは、もともとヘロデの兄の妻であり、その近親婚をヨハネが厳しく糾弾していたため、彼女の憎悪は頂点に達していた。
王は娘サロメに「望みのものは何でも与えよう」と誓う。するとサロメは、情欲の対象である預言者の生首を「銀の皿にのせて欲しい」と願うのだった。
生首の贈り物と口づけ
妃ヘロディアは歓喜し、王は悲痛な面持ちで決断を迫られる。サロメは“七つのヴェールの踊り”と呼ばれる官能的な舞を披露し、ついに王の心を砕く。処刑を意味する「死の指輪」が兵士に手渡され、首斬り役人は水槽へと降りていった。
沈黙の中、やがて“何かが落ちる”音がする。役人は銀の盾に載せたヨハネの生首を運び、サロメの前に差し出す。
サロメはそれを宝物のように受け取り、死者の唇にキスをする。「キスしたわ、ヨカナーン……あなたの唇に、私はキスしたのよ」。
その姿に戦慄したヘロデ王は、「殺せ!あの女を!!」と叫び、兵士たちはサロメを盾で囲み、虫けらのように圧殺した。
ヨハネの死とイエスの登場
ワイルドの戯曲はここで幕を閉じるが、聖書の物語は続く。のちにイエス・キリストが活動を始めると、ヘロデ王は彼を「死んだヨハネの生まれ変わりではないか」と恐れたと記されている。
さらにキリストの裁判においても、ヘロデはその責任を回避しようとし、メシアの奇跡を“見世物”として期待するという、浅ましい態度をとった。
アルブレヒト・デューラー「ヘロデとイエス」(1509年)
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世紀末の美と狂気——オーブリー・ビアズリーの挿絵
『サロメ』といえば、挿絵を描いた天才イラストレーター、オーブリー・ビアズリーの名も欠かせない。彼の挿画は当初、雑誌『ストゥーディオ』に掲載され、後に英訳版『サロメ』(訳:アルフレッド・ダグラス)にも収録された。
「腹の踊り」より(ビアズリー画)
日本の浮世絵の影響も色濃く感じられるその線画は、物語の筋とは直接関係しないにもかかわらず、サロメの持つ“背徳と美”を完璧に視覚化している。
書籍リンクと関連まとめ
◯ワイルド『サロメ』岩波文庫版(ビアズリー挿絵入り)
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