エッセー

【原宿駅旧駅舎】お別れに当たって〜思い出と名残りそして贈る言葉

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旧駅舎

コロナウィルス関連の動画を視聴するなかで、JR原宿駅が新駅に変わり”旧駅舎”が解体されるというニュースを得た。この動画では暗くなった夜を背景に駅員さんが出入り口に並んで、「96年間、どうもありがとうございました」とお別れの挨拶をして、ゆっくりとシャッターが下りる様子が映し出されていた。

*参考Youtube動画;

まるで人間に対するように駅舎に対して感謝と労いの意を表す、駅員さんの表情と振る舞いに素直に胸が熱くなった次第である。もしその場に居合わせたならば、駅員でない私でもお礼を言いたくなっただろう。

これらの駅員さんの中には、ハサミで切符を切っていた頃の改札の人もいるのだろうか?お若い方もいれば尊敬すべき初老の方もいる。皆さん素敵な顔をし、原宿駅に対する愛着が伝わってくる。

ホコ天

筆者がこの駅に定期に訪れていたのは遊ぶため、当時やっていたパンク・バンドを日曜日の歩行者天国で演奏するためだった。したがって買い物やお食事で原宿をうろつくことはなかった。今は亡きホコ天に行動はほとんど限定されていたのである。

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90年代初頭はまだバブルであり、原宿駅の改札は自動でなかったものと記憶するが定かではない。地方から東京に出て、当時の筆者は無我夢中であったから原宿駅の建物に目を向ける余裕はなかった。目に入ってくるのはファッションや行き交う人々の顔や声と、いたるところから耳に入ってくる音楽や騒音や雑音であった。

しかし年を取りこういうニュースを見ると、その時には気付かなかったことが見えてくる。この駅舎は築造96年になるという。しかも木造である。

築年

建ったのは1925年らしい。ということは今話題になっている作家三島由紀夫が生まれた頃に近い。またフランスの作家マンディアルグが15歳頃のことだ。時系列だと筆者が生まれたのは三島由紀夫が切腹した一週間後だから、マンディアルグの亡くなる晩年の81歳頃に原宿駅をうろうろしていた、という事になる。

いま私の頭の中に大きな位置を占めている二人の作家は、当時は知る由もなかった。戦前の思想も戦後の憲法改正のことも知らなかった。だがこの原宿駅旧駅舎は、その基礎に最初の管柱が植え込まれた時に、すべて己の辿る運命を知っていた、ということになる。

こうしてしみじみ見るとなんとまあ可愛らしい建物だろうか。いまどきこのような味のある温かみのある建築が、どうして都会のど真ん中にかくも長きにわたって存続し得ただろうか?ど田舎の田んぼの中に建っていたとしてもおかしくはない外観だけれど、随所に懐かしい時代を思わせるハイカラさが漂っている。

実際に利用していて木造という認識は全然抱いたことがなかったのは、ホームや通路が鉄骨とコンクリートで作られているからだろうか。すると混構造のような建物だったのかもしれない。

感謝

こうしてお役目を終えた原宿駅の機能はオリンピック開催に向けて新しいそれへと移ったわけだが、なんとまあこっちは味も素っ気もない実用主義の四角い箱だろうか。旧駅舎が私たちにくれた贈り物は、素晴らしい思い出と懐かしい景色と、人々がまだハートを持っていた頃の夢なのである。

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