「ピノキオ√964」は1991年に今は無き中野武蔵野ホールで劇場公開された作品。wikipediaによると”ホラー映画”と分類されている。がそれはちょっと違って激しいノイズ・サウンドのMV的映像で、”音”を味わい楽しむ映画であると言える。
例えば「マッド・マックス〜怒りのデス・ロード」が各地で爆音上映されたのをイメージしてもらうと良い。
劇場公開
監督の福居ショウジン氏は、もともと”ホネ”というノイズ・バンドをやっている方であった。27年前の初回公開当時の舞台挨拶でも「この作品は音のための映画である」というようなことを語っていたと思う。
”中野武蔵野ホール”はインディー系の自主制作映画などを熱心に上映し続け、ちょっと他では観ることができない所謂”前衛的”な作品を常に発信していた。が残念なことにこの味わい深い映画館は2004年をもって閉館となった。
スタッフ応募
「ゲロリスト」に大きな共感を受け、私は劇場にあった監督の次の作品「ピノキオ√964」の制作スタッフ募集のチラシを手に取った。
当時のバブル全盛期、巷は浮かれ甘ったれた”トレンディ”な若者で溢れていた。そんな社会に”ゲロ”というオブジェをぶっつけて拒絶するスタイルは、私の心を掴み”ホネ工房”のスタッフに応募した。
”ホネ工房”
”ホネ工房”の事務所に行くと映画の音楽担当者と、どこかから家出してきた居候の青年とがおり、そして監督がいた。私が「ゲロリスト」を観たと言うと「俺はゲロにはこだわってるんだ」と監督。また新宿で決行したゲリラ撮影の話を聞かせてもらった。
「どんな映画が好きなの?」私は「”マッド・マックス”が好きです」と答えた。「あれ、良いよね。2と1どっちが好き?」と問われ「1です。でも面白いのは2です」と答えた。監督と話したのはこれくらいだった。
作品にはライブでま●こを出すという噂の、コンチネンタル・キッズのRANKOさんも出演していた。家出の若者は「RANKOさんホント良い人だよ〜」と語っていた。音楽担当者の方とはアメリカのノイズ・バンド” SWANS ”の話などをした。
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スタジオ録音
仕事はお茶汲みや弁当の受け取りくらいで大したことはやらなかった。映画はすでに撮影が終了しており、音声の吹き込みが残っているだけらしかった。新聞の朝刊配達の後にやっていたので寝坊して遅刻したりした。
スタジオで集合して録音に立ち会わせてもらった日、私ははじめてそういう現場に入った。ピノキオ役の鈴木はぢさん、ヒミコ役のONN-CHANNさんもいた。「あいつは声がとても良いんだ」と監督は俳優のはぢさんを褒めていた。
俳優さんにお茶を出すときに緊張で手が震えた(笑)。ヒミコさんは私の黒い革ジャンを寒いから貸してくれと言い、録音中肩にかけていた。帰りがけに私が首にぶら下げていた、曲がったスプーンのペンダントを手で見て「かっこいいね〜」と褒めた。
バックレ
まもなく私はあることがきっかけで新聞屋を首になった。住み込みだから辞めると部屋を出ないと行けない;日雇いの工事現場の仕事を始めたが、きつくて安定せず大変だった。ボランティアのスタッフを続ける余裕がなくなった。
私は”ホネ工房”に電話をかけ留守電にメッセージを入れバックれた。「仕事を首になったのでやめます。いま日雇いの工事現場へ行っています」みたいなことを言った。
やがて映画が公開され私はさっそく観に行った。舞台挨拶、上映が済んで監督一同が帰って行く観客に礼をしていた。私も礼をされたが、一言も交わさなかった。
映画のエンドロールに小さく自分の名が出ていた。2〜3回しか行かずお茶汲みと弁当受け取りしかせず、最後にバックれた人間の名前も入れてくれたことに、私は少し胸が熱くなった。
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