【稲妻】“人の子”が来る時の徴──COVID-19パンデミックと黙示の季節
異常気象──行いの報いとしての寒冷
2020年4月25日。東北の春は異様な寒さに包まれていた。宮城県では冬の間、雪かきは一度きり。3月には5月のような陽気が訪れたかと思えば、4月下旬には真冬のような格好で布団に包まる始末だった。
この異常気象は、人類の罪の蓄積と無秩序な行いへの報いではないか? 筆者は寒さで体調を崩し、毎日、風邪に似た倦怠と痛みに襲われている。咳こそ出ないが、体は重く、明らかに正常ではない。
今は少し体調を崩しただけで医者にも行けない時代。筆者は静かに家に篭り、快復を祈っている。自分が感染していないと信じる根拠は、同居する高齢者が無事だからである。もし感染していたなら、とっくに最悪の結果になっていたはずだ。
封鎖措置──滑稽なる備えの記録
東京の感染拡大が報じられた頃、筆者は即座に家籠りの準備を始めた。最初は気楽なものだった。ワークマンで買ったレインコート、ゴーグル、正露丸、タバコ、髭剃り、そして「最後に飲もう」と取っておいたマッカラン。どれも未開封のまま、むなしく時を過ごしている。
この一連の“終末ごっこ”が無意味だったことを思い知らされた今、筆者はただ静かに聖書を開く。生の終わりが近いことを感じながら、語らねばならぬ言葉を残す時が来たのだ。
収束期間──5ヶ月のイナゴ
COVID-19のパンデミックはいつ終わるのか? その答えは、『ヨハネの黙示録』第9章にある。底知れぬ穴から立ち上がる“イナゴ”――それは蠍の尾を持つ蝗の軍勢であり、人間を苦しめるために神が遣わした災いである。
この災いは人間の意志では止められない。聖書にはその期間が「五ヶ月」とある。が、預言書においては“五ヶ月”が五年や五日を指すこともある。いずれにせよ、それは限定された時であり、必ず終わる。
二つの喇叭──さらなる災いの予兆
COVID-19が収束した後、さらに二つの大いなる災厄が続くという。黙示録に記されているように、「ユーフラテス川に縛られた四人の天使」が解放され、彼らは三分の一の人類を滅ぼす軍を率いて現れる。
第六のラッパが吹かれるその日、四方の風を抑えていた天の力が解き放たれ、地球規模の破滅が訪れる。歴史の終焉の音が、もはや遠くで響き始めている。
稲妻──“人の子”の閃光
「人の子は、稲妻が東から西に走るように来る」――これは主ご自身の言葉である。ノアやロトの時代、人々は警告を笑い飛ばした。同様に、“人の子”が来るときも人々は耳を塞ぐ。
主はまた言われた。「その日は盗人のようにやって来る。だから目を覚ましていよ」と。だからこそ筆者はこれを記す。稲妻のように来るその時、心の準備をしていれば、恐怖はわずかでも和らぐ。
忠言──小さきものの大きな終焉
最後の時が来た。どうか皆さん、コロナと共存できるなどという幻想を捨ててほしい。次なる災いは、思いがけず、瞬時に訪れる。
主は良きものとして天地を創られた。しかし悪魔がこれを荒廃させた。だから滅びるのは地球だけではない。塵は大気圏を越え、宇宙の奥へも広がっている。アリストテレスが語ったように、地球が宇宙の中心であるなら、その崩壊は全宇宙の終わりを意味する。
最も小さく、最も取るに足らぬと思われていた地球こそが、実は最も重大な役割を果たしている。雀も蟻も雑草も、そして人間も、その価値は神に由来する。
このすべての存在が、主によって造られ、今も維持されている。その事実を思い返し、自らの心を省み、主に赦しを乞うこと。なぜなら最後の日、すべての者が、生ける者も死せる者も、主の御前に立たされるのだから。
――さて、私は警告した。あとは、あなたの自由である。
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