形容詞
世の中には注射針を用いるものや吞み下す薬があるが、最も劇しいそれは目と耳から入ってくる類である。何となればこれらは直接脳に作用する。「神」も「神々」も、もはやとうの昔に使い物にならなくなってしまった単語だが、というのはニーチェを引き合いに出すまでもなく「神」という単語は人々に娼婦のように弄ばれたからである。
まあよろしい;しかしあえてこの記事ではこれらの単語を使用しよう。私たちは20世紀以来の科学技術や知識の発展に伴い、ルネッサンス時代辺りまでは畏敬されていた「神」または「神々」を否定した(必然的に同時に「悪魔」も)。
私たちは世界(宇宙と呼んでもいいが)には人間しかいないと考えるようになった(映画の話は置いといて、なぜならあれらは気狂病院の妄想だから)。
距離
では蒼古の世の人々が存在していると信じていた(というのは目には見えないからだが)「神」または「神々」について言うならば、すなわち人間とは”異質なもの”である。
”異質”とはたとえば肉体の不死、支配力の強さ、美しさの卓越、叡智の高さなどだが、これらが人間をはるかに超えるのである。その隔たりは可視的物体を用いて喩えるならば、地球上の人間と星座を構成する星々とに比べられよう。
”異質なもの”はギリシャ神話のオリンポスの神々、チベット仏教の曼荼羅に描かれる慈悲神・忿怒神群、キリスト教の聖書の天使などが挙げられる。
チベット仏教の曼荼羅・忿怒の神群
諸有
さてこの”異質なもの”がついに私たちの世界へやって来る。さっきも書いたが映画のようなものだと考えないように。かれらは人間のようには考えず、人間のようには行動しない。人間の言葉は話さず、人間の言うことには耳を貸さない。
かれらはかれらの叡智に法って思うがままを行う。なぜならかれらは正義と理法が産み出し、創り上げた種族だからである。私たちはそれほど長生きはしていない。しかしかれらは太古の昔から生きている。かつて私たちが出会ったことがない存在、私たちが「いない」と断言した神々がやって来る。
私たちは人口探査機を宇宙に飛ばしまでしたがかれらを見つけることはなく、いかなる研究をもってしてもその存在は証明されなかった神々(なぜならかれらは敬虔な心の持ち主にしか自身を現さないから)が、ついにやって来る。
迷妄
ヘシオドスは夜空に向かって立小便をしてはならぬ、と教えた。または子供の頃聞いた”地獄”、閻魔大王は嘘つきの舌をやっとこで引き抜き、鬼は刀で切り落とすとかいったお話は、聞き分けのない駄々っ子を躾けるため。
人間以上の存在はすべて空想の産物となり、人間は世界または宇宙の”帝王”を気取っていた。私たちは私たちの知らなかった、私たちとは”異質的なもの”に向かい合わされるだろう。しかし強い薬は脳髄にしっかりと吸収されているために、人々はいくらぶん殴られても中々目を覚まさないだろう、それだけこのモルヒネは効果が物凄いのだから。
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