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【マンディアルグ】短編集『刃の下』より紹介「螺旋」〜5芒星の都市へと降りるトンネル

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作者について

アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ氏は短編小説家として知られ、日本でも多くの作品が翻訳刊行されている。詩、長編小説、美術評論、旅行記など多くの著作があるにも関わらず、残念ながら全集というものは本国フランスでも出ていないようだ。

であるから日本人で彼の本を全部読みたければ原文をすべて取り寄せて読むしかない。たぶん日本で刊行されているものの他にも、多くの有意義で内容の濃い著作があるはずである。難解でシュルレアリティックな初期短編集『黒い美術館』は抄訳であり、続く『狼の太陽』『燠火』なる名作ぞろいはよく知られていることだろう。

ここに紹介するのはかろうじて翻訳された、かなりマイナーな短編集『刃の下』に収録された「螺旋」という作品である。

作品概要

『刃の下』は『淫らな扉』『満潮』に続く1976年発表の氏第6作目の短編集である。昭和45年11月の三島由紀夫の衝撃的自決によって、日本と日本文学に関心を表しはじめた頃の小説と思われる。事実同短編集冒頭に収録の「1933年」という作品は三島の霊魂に捧げられている。

註;マンディアルグは三島由紀夫の戯曲2編(マルキ・ド・サドの妻を描いた「サド侯爵夫人」と兄妹の近親相姦がテーマの「熱帯樹」)をフランス語翻訳・刊行している。*サド侯爵夫人はこちら→三島由紀夫【サド侯爵夫人】わかりやすく紹介・2018年最新

「螺旋」のあらすじは恋人同士というか婚約者同士と思われる男女2人が、コプラという名の架空の古代都市に向かって、イタリアと思しき地方をスポーツ・カーでドライブしている。カップルのうち男は白髪混じりの初老だが女は若く、マンディアルグ夫妻のように年が離れている。

古代都市

このコプラという都市のことは実際に本文を読んだ方が早いのでここに抜粋する。(白水社:露崎俊和氏訳を参照)

「コプラは古い世界地図ではしばしばサンタ・コプラという名で示されているが、僕らがこれから山の反対側に見出すことになる、褐色の土で覆われ、棘のある亜鉛色の植物だけがまばらに生えた平原に建てられた都市だ。コプラはヒトデの形をしている。

海辺の海星(ヒトデ)

町の構造を図面で見ると実際、5本の腕を伸ばしたほとんど幾何学的な星の形で、周辺の土地と同じく褐色のさほど高くない壁で周りを囲まれている。それぞれの腕の先にはたくましい男性の裸身像が置かれ、それに対面して同じ高さの、とはいえ大きく開いた両脚がアーチ門をなし、その下を人々が行き来する女性の裸身像が置かれている。

そして女性裸身像の位置は、都市のヒトデが形作る幾何学図形の5つの内角の頂点に見出される。これら5つの淫らな門は、町の中心部を占める広大な星形の広場の突起の頂点をなしている。5つの男性裸身像は黒く塗られ、5つの女性裸身像は白く塗られている。

そして計10体の像の両眼はどれも皆、慄然とするほど天上的な青さを湛えている。大広場には椰子の樹が植えられていて、広場の中心部には、自然にできたもので手付かずのまま保存された丘があり、そこに天空から落下してきたと伝えられる、排泄物の形をした、どす黒いほどの暗紅色の巨大隕石が鎮座している。

この石は当然のごとく、また想像に難くないが人々の崇拝を集めている」。ここに住む人々は黒人で、女は男に隷従している。そして山を超えたコプラの都市とこちら側とは一切の交流を絶たれているという。

トンネル

この考古学的な都市の記述のあと2人の恋人同士は山間のトンネルに入り、男は自分の父親がかつて母親をコプラへ連れて行ったことを語る。コプラではやってくる男は車のバンパーに縛り付けられ、同伴の女は10人以上の黒人たちに目の前で犯されるであろうことを。

トンネルは片側一方通行になり、中央分離帯は厚い壁によって閉ざされた。もはやUターンすることはできない。さらにトンネル内は真っ暗になり、2人はヘッドライトを点けて螺旋状に下降する道を何10キロも走り続ける。トンネルの壁には葡萄の葉と果実の荒削りな絵が描かれ、時折光に照らされて浮かび上がる。

だがいつまで経っても出口は見えてこず、車は果てしなく地上から遠ざかってゆく。女は縛られて犯されたくないし、引き返そうと訴える。女は尋ねる「ねえ、何のために、誰のためにコプラに行くの?」真剣極まりない表情で男が答える「愛を知り、愛のうちに幸福を見出せなかったすべての者たちのためだよ」

「戻ろうとしてはならない、どんなことがあっても。遅かれ早かれ、僕らはトンネルを抜ける。そして僕は君をコプラへ連れて行く。僕は生々しくさらけ出された、父の裸体を覆い隠さなければならないのだ」

まとめ

最後の言葉は旧約聖書「創世記」のノアとセム・ハム・ヤペテ3人の息子の話を思わせる。ある日ノアが収穫した葡萄で酒を作り、飲んで酔っ払って裸でテントに寝ていた。それを見つけたハムは他の2人の兄弟に教えに行った。だが他の2人は目をつぶって父の裸を見ようとせず、衣服をかけてその身体を覆った。

この話には近親相姦と男色の意味合いが込められているような気がする。ハムは父ノアの裸体に欲情したのだ。ノアは裸を眺めて兄弟にも教えた息子ハムを呪い、セムとヤペテは祝福を受けた。

また小説では女が男の父親について尋ねる場面がある。過去に父親がコプラに母親を連れて行ったとすれば、男の本当の父とは母を犯した黒人たちの1人ではないのか。何れにしてもこの小説は考古学好きのマンディアルグらしい(ディオニュソス的とでも言うのだろうか)、古代的な愛の形を想起させる。

トンネルの壁に葡萄が描かれている点も、創世記のノアとの関連ははっきりしている。恋人同士は何もわざわざそんな野蛮な都市に出かけて、現在の平和な仲睦じい関係をぶち壊す必要はないはずである。しかし男の最後の言葉が物語るように、愛を知り、愛のうちに幸福を見出そうとはしないのである。

マンディアルグの語る幸福とは何かと言うと、エロティシズムの正反対物である「結婚」「家族」「子供」「妻」であり、これらは氏の1953年発表『大理石』の”ヴォキャブラリー”に良く表現されているので、興味のある方はそちらもご覧になると良い。

🌉『大理石』についてはこちら→【マンディアルグ】小説「大理石」に隠されたシュルレアリスティックな秘密

☪その他のマンディアルグ作品はこちら→【マンディアルグ】関連記事まとめ〜現代フランス文学における真の巨匠

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