原点
三島由紀夫の最初の長編小説であり原点と言える「仮面の告白」をレビューする。戦後まもなく出版されたこの作品は当時はかなり斬新だったことであろう。あたかも「限りなく透明に近いブルー」を出した村上龍のような。
どういった内容か。告白体で綴られる文章の主人公はホモセクシュアルの性向を持つ。自らを性倒錯者と呼びはするが、現代では同性愛は公然と社会的地位を得ているし、婚姻だって可能だ。であるからこの作品が倒錯と呼ぶこと自体はもう古い。
冒頭
作品冒頭の文体はすさまじい。映画「マッドマックス1」のナイトライダーみたいにブッチギリで突っ走っている。若き三島の世界へ突っ込もうとする野心が満ち満ちている。澁澤龍彦によって西洋の闇の芸術が鎖国国家日本に紹介されたがごとく、三島もそれらをどこかで読んだものであろうか。「仮面の告白」には退廃のローマ皇帝ヘリオガバルスの名前やマルキ・ド・サドばりの残虐な血の空想が出てくる。たくさんの舶来の知識が、それまでの日本文学にはなかったスタイルがそこにはある。
私の期待では序盤の狂気の文体から、ピラミッド状に精巧かつ緻密な積み重ねで恐るべき変質者が形成されるはずだった。しかし最後にはただ同性への愛と女性へのパッとしない愛の間を優柔不断に揺れ動く、童貞の青年の話でしかなくなっていた。こういった展開は有名漫画家などの場合にもよくあることである。
三島文学は素晴らしい。国内外にも大変な評価を得ている。だが「仮面の告白」に関しては、私が期待しすぎたためだろうか、「ドラえもん」の第1巻か「リングにかけろ」の初期のような印象を受けた。それらの漫画は同じ作者が書いたとは思われないほどで、巻が進むにつれて絵柄がこなれてきて良い感じになるのである。
*註:「私の遍歴時代」にはあからさまに「仮面の告白」の密度がなぜ後半落ちたか、その訳が記されている。すなわち慣れない長編で体力の配分を誤って、後半は息も絶え絶えに疲れかつ締め切りに追われていた、とのことである。「私の遍歴時代」レビューはこちら→三島由紀夫【私の遍歴時代】青年が「文士」になるまでの赤裸々な回想録
同性愛
男性に対して欲情を覚える主人公の語り手は、三島由紀夫自身そうであったように戦争中青年時代を過ごし、敗戦・降伏によって非常な衝撃を受けるのだった。ちょうど1999年にノストラダムスの予言で世界が滅びるはずだったのが裏切られたように。このような見所はこれらの時代背景を知るうえでとても有用だと思う。
序盤はバタイユとかユイスマンス、澁澤龍彦的世界の影響が出まくりの内容である。そして最後まで流血もなければ性交もない。両者とも空想の中でしか実行されない。つまりただ内面の動きが延々と綴られており、何らの事件も現実には起きない。好きな男を見て勃起したり自慰するだけである。バスの運転手のハゲ頭にも欲情した、と言っている。
三島由紀夫が男色のテーマを選んだのは、多分愛読書「葉隠」の影響もあるだろう。私自身としては女性が対象なので、たとえプラトンやミケランジェロが男好きだったとしても、真似したいと思わない。そういう想像もしたくない。「仮面の告白」の語り手はしょっちゅうその手の淫らな想像ばかりするが、絶対に行動には移さないのである。それがこの本の"つまんない"ところだ。
絶歌
最後に神戸連続児童殺傷事件の犯人、酒鬼薔薇聖斗について述べたい。
"元少年A"で出したなんとかいう告白本があったではないか。いつだったか奴に印税が入らないようにアマゾンで中古100円で買って読んだのだ。あれの方がもっと倒錯していた。祖母の仏壇に線香をあげて拝みながら形見の電マで、猫を解剖して、そして幼い命を奪ってその行為に興奮して射精する少年。「仮面の告白」にはそれ以上の狂気や異常性はないから、あまり期待しないで読んだ方が良い。ただし文体は格式高く豪華絢爛であるから、日本語の持つ可能性と三島の若き才能に驚嘆させられることだろう。
◯その他の三島由紀夫作品はこちら→【三島由紀夫】作品レビューまとめ〜当サイトによるオリジナル版〜