『“市政より来たる耽美候補”氏、同性愛傾向の有無に就き考察す』
令和七年 盛夏 記すは匿名の変態
戦後民主主義の爛熟期、斯くの如く容姿端整、言動冷静沈着なる政治家の出現に際し、国民は直ちに「彼はゲイなのではないか」との問いを抱くに至れり。然れど斯の疑念、単なる好奇心に由るに非ず。是れ、性と政治との交錯を照射する社会的欲望の発露なり。
我、幾つかの演説動画、街頭活動、並びにSNS上の言説を渉猟し、その言動に潜む“耽美の気配”を感得せり。例えば彼の手指の運び方、声の節回し、靴の選定に至る細部に、無意識の“様式美”を看取すること容易なり。
然るに斯の観察、果たして実証足り得るか。即ち、彼の性的志向に関して明確なる証左、今尚得られず。されど——民意の夢想を映す鏡として、斯の考察自体、無価値に非ずと信ず。
『禁色ノ影、街頭ニ立ツ』
その頬の稜線に、夏の光が戯れるとき、私は戦慄した。
言葉少なきその声は、弓の弦のように張りつめ、聴く者の神経のもっとも薄い膜を震わせる。街宣車の喧噪に混じることなく、彼の声は清冽な水脈のように通底し、見る者の目に“疑念”と“欲望”の輪郭を同時に与える。
彼の歩容に宿る律動は、兵士にも似た規律を孕みつつ、その関節の微細な揺れに、何かしら“解体される美”を予感させた。
規則正しさに隠された、甘美な非対称——まるで、ギリシャ彫像の破損部分に手を添えた瞬間のように、完璧と欠落が同時に肉体に刻まれている。
彼が同性愛者であるか否か——
それは単なる性の傾向というより、“政治という劇場に於ける装置”である。
民衆が欲するのは、誠実な回答ではなく、崇拝の対象に含まれる毒素である。
そして彼は、その毒素を正確に量り取り、わずか一滴を、表情の端に浮かべてみせる。
人々は、彼の肉体そのものよりも、その姿勢に耽溺する。
あの背筋の張り詰めは、倫理の直立であり、美学の直立でもある。彼の身体は、まるで政治的道徳の抽象を“かたち”として引き受けたような緊張を帯びている。
——されど、その張力の隙間に、誰もが見てはならぬものを垣間見る。
端整でありすぎる外貌。微笑の角度。腕時計の選択。
それらは偶然ではない。人々が無意識に“違和”を求めるとき、彼はそれを差し出す才能を有している。
欲望とは本来、存在しない“徴”を見出そうとする営為である。
それが性的であれ、宗教的であれ、政治的であれ、民衆がその瞳の奥に求めるのは、確信ではなく許可である。
——「彼がそうであってもよい」と感じた瞬間、すでに欲望は完成している。
即ち彼とは、「見る側」が構築した虚構の中でのみ成立する、“身体を持った暗喩”である。
そしてその暗喩は、同性愛という語の形を借りて、国家という舞台に立っている。
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