ポー「催眠術の啓示」感想|神と霊の正体に迫る哲学短編

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【エドガー・アラン・ポー】「催眠術の啓示」レビュー|霊と神、そして物質の哲学

本記事では、エドガー・アラン・ポーの哲学的短編「催眠術の啓示」(”The Facts in the Case of M. Valdemar”)について語る。ボードレールも「ユリイカ」と並んで強く推した隠れた名作だ。

■ 科学と物質の彼岸へ

本作は、催眠術をかけられた重病の患者と術者による、対話形式の“哲学的SF”である。その内容は形而上学的でありながら、どこまでも物理学的な地平に着地している。

たとえば「神の怒りの七つの杯」──これは聖書的な終末を象徴するが、近年では科学的にそれに匹敵する災厄が現実に起こり得るという知見もある。人類の築き上げた科学の壮大さを知れば、自然界の“霊的なもの”すら物理学の法則として説明可能ではないかと思えてくる。

■ ポー曰く、神は“物質”である

この短編の最も印象的な主張は、「霊は存在しない」「神は物質である」というものだ。

誤解されぬように言えば、これは単なる無神論ではない。「霊」とは想像によって構築された存在であり、科学によって未解明である間は“霊”と呼ばれてきた。風も、電気も、磁気も、かつては霊だった。

しかしそれらが物理学によって解明されるにつれ、“霊”は“力”や“法則”へと置き換えられてきた。ポーの洞察はここにある──科学が進み続ければ、やがて神にまで到達する。つまり神は“想像上の存在”ではなく、“物質世界の究極の中心”に位置する。

■ 想像では世界は動かせない

「想像されたものには、物質を動かす力はない」。これはポーの根本的な立場だ。想像上の霊ではなく、現実の力としての“霊的現象”を語ろうとする彼の態度には、科学と信仰の橋渡しの意志すら感じる。

神とは、世界の根源にある力であり、非物質的な幻想ではない。神は感覚可能であるはずだ──なぜなら、存在するものは常に何らかのかたちで感覚され得るからである。

■ 電磁気と「神通力」

作中に明示されているわけではないが、現代的に解釈するならば、ポーのいう“神の力”とは電磁気力に近い。人間の身体は細胞から、細胞は原子から成り、その運動には必ず電磁気力が働いている。

ある者──「神の人」の身体の電磁気力が、地球の磁場と完全に一致していたとしたらどうか? その力は、反発する者がいかに多くとも、圧倒的な調和によって打ち勝つだろう。

聖書の「出エジプト記」やイエスの「山をも動かす信仰」も、ある意味でこの力学的視点から読むことができるかもしれない。

■ 非物質という幻想

結論として、「非物質的なものなど存在しない──それはただの言葉にすぎない」と、ポーは催眠状態の患者の口を通して語らせる。

現代の私たちが、太陽フレアや地球のオーロラの映像を目にしたとき、ポーはこう言うだろう──「ほら、私の言ったとおりだったろう?」

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