作品概要
古代ギリシャの哲学者プラトンによる対話編『国家』は、彼の著作の中でも特に長編に分類される作品です。「正義とは何か?」という問いを掲げながらも、冒頭から第5巻まで(岩波文庫版では上巻)は、理想国家の設計図のような内容が延々と続きます。
一見、ユートピア的な社会構想の議論であり、重厚な哲学書というよりも、どこか夢想的な印象すらあります。読み物としての面白さは薄く、決して退屈ではないけれど、感動的でもないという“空気のような”前半。ですが、実はこの平坦な語りこそが、読者の思考を「ある周波数」にチューニングさせるための準備運動なのです。
『国家』が本当の意味で哲学的な深みを見せ始めるのは、第6巻以降――つまり下巻から。ソクラテスの口から語られる対話の真意に触れるには、そこまで読み続け、彼のペースに合わせられた読者だけが到達できるというわけです。この“周波数合わせ”の作法は、実はプラトンの多くの著作に共通する隠れた特徴でもあります。
イデアと似像の比例関係
『国家』下巻で語られる中心テーマの一つが、「物質世界」と「イデア(真の実在)」との比例関係についてです。プラトンはこれを説明するために、シンプルな線分の図を用います。
線分ABを点Cで1:2の比率で分ける。さらに、分割されたACとCBも同じように1:2で分ける――という図式。この図を通じてプラトンが示そうとしたのは、「我々が知覚している世界(似像)」と「実在としての世界(現実)」の関係です。
たとえば、水面や鏡に映った像、映画、写真、ネット動画といったものは、現実世界の“似像”にあたります。それらは現実の写しであり、そのリアリティは“本物”に対して半分の濃度しか持っていない。つまり、「似像」と「現実」の関係は1:2であると。
“リアリティ”の階層
この比例関係はさらに続きます。物質世界のリアリティが「1」だとすれば、イデアの世界のリアリティは「2」。つまり、私たちの現実世界すら、イデアの世界から見れば“影”のような存在にすぎない、ということです。
さらにプラトンは、イデアの世界の中にも階層があると示唆します。そこでは“言語によって語り得るイデア”と“言葉では表現しきれないイデア”との間に、もうひとつの1:2の比例が存在している――つまり、認識の届く真実と、沈黙の奥にある真実があるというわけです。
まとめ:私たちは似像を見ているだけかもしれない
もし、私たちが生きているこの物質世界そのものが、DVDやネット動画のように“似像”の層でしかないとしたら? イデアの世界にある“真の実在”は、さらに濃密なリアリティを持ち、私たちが想像する以上に“本物”であるに違いありません。
この比喩的な思考は、『国家』の中で続く「洞窟の喩え」へと引き継がれていきます。そこでは、囚われの者たちが壁に映る影を現実と信じ込んでいるという、象徴的な描写が展開され、読者はソクラテスの対話の深淵に引き込まれていくことになるでしょう。
▶︎ 続きはこちら → 【プラトン】対話編「国家」におけるイデア論について(2)〜洞窟の比喩
▶︎ プラトン関連まとめはこちら → 哲学者【プラトン】対話編〜レビュー・解説まとめ
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