哲学

【ナグ・ハマディ文書】洋書レビュー(4)〜「無知」と「覚知」について

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日本で『ナグ・ハマディ文書』の完訳を読むには5万円ほどかかる。しかし英語版の洋書では約3000円でコンプリート本が販売されている。

以下アマゾンの販売リンク↓:The Nag Hammadi Scriptures, edited by Marvin Mayer( HarperOne; International, Reprint, Revised, Updated版 (2009/5/26))。

*前回記事の続き【ナグ・ハマディ文書】洋書レビュー(3)〜”アルコン・この世の支配者”について

目覚め

酔っ払いという生き物がこの世にいなかったなら、自分が白面であるということをどうやって自覚しようか?(同じように盲人がいなかったらどうやって「見える」ということを区別できようか?)

眠っている人がいるからこそ目覚めている人はそれを自覚できるのであり、暗闇があるからこそ光を認識できる。このように「無知」な人間たちにもその存在理由はあるのだ。

無知の歴史

三島由紀夫が切腹した年に生まれた筆者の例を述べる。

私の家族や直系尊属、親戚など私より先に生まれていた人間たちが生まれたばかりの私を可愛がった。私は非常に大事に育てられた。物質的なものには何ひとつ不自由せず。

しかし私の周りの人間たちは「無知」であった。いまもそうであるように。やがて生みの母親が死んだため、ますます私は過保護に育てられた。

テレビ

まず私は食い物や玩具、種々の遊びに没頭した。生まれ故郷の土地は優しく私の小さな身体を包んでいたが、それも長くはなかった。

家の中では「無知」の家族がカラーテレビを囲んで毎日無駄話をし、これをもって”家庭円満””家族団欒”が成立していると見做された。

やがてひとり、ふたりと人々が死に始めた。母親の死も思い出し始め、死についての疑問が起こった。(以下省略)

アルコン

私は自分に張り巡らされた罠に気付いた。「無知」という罠、欺きという名の悪霊が支配するこの世。嘘の言葉で精神を騙し操るアルコンの強い支配力が、全ての人間を捕らえていた。

私はマトリックスのネオのようだったのではない。しかし私の重く粘着した両瞼は目脂だらけの扉を開けた。私は寝台から起き上がって歩き回った。

夜ぐでんぐでんに酔っ払い、朝やっと酒が抜けたように周囲を見渡した。真っ暗闇で何も見えなかった景色が太陽の光で照らされ、様々なものの形や色が現れた。

アダム

「人間」は「人間」として創造されたことにすら気付いていない。そのような「人間」を見て私は驚いた。自分の身体にも驚いた。

この「人間」こそがアダム、最初の両性具勇者だった。アダムからイヴが抜き取られ、1つが2つになった時、死が生じた。

イヴがアダムに再び入り込み、アダムがイヴを抱きしめれば、死はもはや無いであろう。

●参考→旧約聖書【創世記】岩波文庫版・紹介〜作品としてのモーゼ五書

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