概要
三島由紀夫の短編小説『憂国』。タイトルからしていかにも「右寄り」な空気を漂わせ、映画化もされている。作者自身が主演し、割腹自殺した彼の人生そのものが作品と重なって見える。映画のスチルを見るだけでも、まさに市ヶ谷で事件を起こしそうな雰囲気が漂っている。
舞台やボディビルにのめり込んだ三島は、自らの身体を鍛え、中尉のような「美のかたち」を追い求めた。そしてこの『憂国』は、そんな彼が「こうやって死にたい」と思い描いた“練習帳”のような一編でもある。
愛と死、快楽と苦痛
2・26事件を背景にしたこの短編の主題は明快で、「愛と死」、そして「快楽と苦痛」だ。それはまるでフランス文学を思わせるが、しかしサドやマンディアルグがどれほど残酷描写に長けていても、ここまで日本的な哀しみと美を描くことはできなかっただろう。
サドは他者に苦痛を与えるが、三島は自らに苦痛を課す。その違いは大きい。神や悪魔に命じられるのではなく、自らの意志で切腹に至るという決意。その痛みにこそ誇りがある。切腹という死に方は、三島にとってまさに「美学」だった。
夫婦の最期
2・26事件で呼ばれなかった青年将校の中尉は、新婚6ヶ月の若い妻と共に死を選ぶ。激しい愛の一夜を過ごした後、夫は切腹し、妻も後を追う。小説ではその過程があまりに生々しく、血の温度すら感じられるような筆致で描かれている。
切腹シミュレーションとしての文学
「愛と死」「快楽と苦痛」が絶妙なバランスで混じり合い、読者に奇妙な余韻を残す。二人の間に流れる快楽は、私たちの知るそれとは別種の深さを持っている。
中尉の切腹描写は、想像とは思えないほど具体的だ。三島は軍医に取材を重ねていたらしく、切腹の苦痛と進行を、童貞が性体験を想像するかのように細かく描いている。実際、三島が自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺した時、その姿はまさに『憂国』の中尉そのものだった。
森田必勝が介錯に失敗し、三度も刀を振り下ろしたという話は有名だが、それほど三島の死に様は「予定通り」だった。腹を割き、腸を溢れさせ、仰け反って倒れる。彼の死はすでにこの短編の中で“予告”されていたのである。
エンディング
夫の死を見届けた妻は、家の中を整理した後、夫の傍らで喉を突いて果てる。迷いも恐れもなく、ただ凛とした美しさと静けさ。そこには純粋な自由と歓喜、そして愛があった。
ちなみに映画版もネットで観られるが、個人的にはすぐ飽きてしまった。ユルスナールは高く評価していたが、私としては小説のほうを強くおすすめする。
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