谷崎潤一郎『春琴抄』レビュー|盲目の師弟関係が描くサディズムと美の極地

小説

谷崎潤一郎『春琴抄』レビュー|盲目の男女師弟がたどる究極の愛と服従の物語

谷崎潤一郎の1933年発表の中編小説『春琴抄』を紹介しよう。 主人公「春琴」こと鵙屋琴(もずや・こと)は、実在の人物ではなく、物語は完全なフィクションである。

読みやすさと文体の魅力

本作は約80ページほどの中編。漢字三文字のタイトルに敷居の高さを感じるかもしれないが、実際には読みやすく、休日の午後に一気に読める分量だ。

谷崎の筆は、古典的な趣をたたえつつも、時代の古さを感じさせない。『陰翳礼讃』にも見られるような、日本的な陰影の美が文章全体を包んでいる。

特徴的なのは文体。句読点が極端に少なく、珍しい漢字も多用される。改行もなく、一見読みにくそうに見えるが、不思議とスラスラ読めてしまう。これは谷崎独自の実験的手法であり、単なる模倣では到底真似できない文章芸術である。

あらすじ:盲目の師弟、春琴と佐助

物語は、盲目の音楽教師・春琴とその弟子で奉公人の佐助の、濃密で倒錯的な関係を描く。

春琴は名家に生まれ、美貌と才気を併せ持つ少女だったが、9歳で視力を失う。以後、丁稚の佐助が付き添うようになり、彼女の身の回りの世話を一手に引き受ける。

その従順ぶりは尋常ではなく、食事・風呂・あん摩まですべてをこなし、むしろその奉仕に快感を覚えるようになる。

やがて佐助は春琴の弟子となり、音曲の厳しい修業に身を投じる。師匠と弟子という主従の関係は、死後の墓石の設えにまで貫かれる。

愛ではなく、支配と服従

二人は肉体的関係を持ちながらも、結婚することはなかった。春琴は妊娠するが、佐助の子とは認めない。 それでも子どもを3人もうけるという矛盾。それは恋愛や家庭といった価値観ではなく、支配と服従の関係性を美徳とする世界の論理だった。

サディズムとマゾヒズムの果て

春琴が顔に火傷を負う事件をきっかけに、佐助は自らの両目を針で潰し、盲目となる。 師匠と同じ視覚のない世界に身を投じたことで、初めて彼女の境地に達し、春琴から初めてやさしい言葉をかけられる。

「なぜもっと早く目を潰さなかったのか」。佐助のこの内なる問いは、純粋な愛ではなく、全存在を捧げる信仰に近い。

エロティシズムと想像の感覚

『盲目物語』にも通じるが、相手に見られていてこちらは見られない、という一方通行の視線の構造は、エロティックな想像力をかき立てる。

目を閉じることで覚醒する触覚や想像力。目隠しプレイや透明人間といった設定にも通じるが、本作ではそれを芸術的・心理的深みへと昇華させている。

結語:谷崎の美学が凝縮された一作

『春琴抄』は、谷崎潤一郎のサディズム、マゾヒズム、耽美主義、そして日本文化への執着が凝縮された傑作である。

盲目の男女が織りなす倒錯と献身の物語は、単なる恋愛小説ではない。 それはむしろ、”見えないこと”によってしか見えてこない精神の深淵に踏み込む、日本文学におけるひとつの極北なのだ。

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