フランスの作家アンドレ・ピエール・ド・マンディルグ氏の短編集『黒い美術館』より「子羊の血」を紹介。
前置き
子羊と言えば新訳聖書のイエス・キリストが思い浮かぶ。日本人である私でさえそうなのだから、キリスト教が風土や生活にしっかりと結びついた西洋ではなおさらではないだろうか。つまりキリストは屠殺された子羊、血まみれの衣を纏った人の子の姿として、ヨハネ黙示録でも出現する。
マンディアルグの短編には同じようなテーマの作品が他にもあり、似たようなイメージは何度も繰り返して登場する。「ロドギューヌ」などもその例だろう。
概要
『黒い美術館』の完訳は残念ながら出ておらず、日本語版だと多くても3つの作品だけが含まれる短編集である。運よく「子羊の血」は邦訳で読むことができ、日本語にするとわけが分からなくなりがちな難解な初期作品でも、比較的理解しやすく面白い内容だと思う。
”逃げる眠りの白い足を追う夢よりも素早く、黒いリネンを纏う夜が、昼の白い子鹿を追う”のスウィンバーンの引用から始まる本編は、傑作「生首」に通じるようなサスペンス風な恐怖感があって一目に値する。
短編はシュルレアリスムの女流画家レオノール・フィニに捧げられており、いつもながら絵画的イメージも強いがあらすじは至ってシンプルである。
少女
14歳の少女マルスリーヌ・カインは可愛らしい小さな女の子である。港町の山の斜面にある”山小屋”と呼ばれる家に両親と若い小間使いと4人暮らし。親から非常に大事にされ可愛がられた生まれたばかりの弟がいたが、病気で亡くなった。
両親は弟のことを気にかけていたようにはマルスリーヌを愛してはいなかったようである。小間使いとも敵意とまではいかないが馬が合わない感じだった。そんな一種の孤独の環境の中彼女の唯一の愛の対象であり、幸福は一匹の大きなうさぎであった。
うさぎ
うさぎは普段杭で高く設えられた小屋の中にいて餌を食べていたが、時々マルスリーヌは岩の高台にある籠までうさぎを抱いて走っていき、一緒に寝転んで遊ぶのだった。うさぎはカラフルな毛並みだったらしく、草原を走ると花束のように見えたため、スーシー(Souci)と言う名だった。
少女はまず小屋の中に頭と両腕を突っ込んでうさぎを抱き、岩場まで走りながらうさぎに後ろ足が小さな彼女の胸を揺らすのを感じる。さらに服を上半身脱いでうさぎを体の上にのせ、動物の前歯を舐めてキスする。そして言う”スーシー、愛してるわ”。
夕飯
ある日マルスリーヌの年甲斐もない格好に頭を悩ませた親が、彼女の服を買いに街へ連れ出そうとする。退屈な母親との買い物や用足しの間、彼女は早くうさぎを抱っこすることしか頭になかった。暗くなる頃やっと家にたどり着きうさぎ小屋へ走る。
すると愛された動物の姿がない。食堂に駆け戻り親に尋ねると、うさぎは暑かったから岩場の籠に入れてあるから、先に夕飯を食べなさいとのこと。夕食に出されたのは子羊のシチューだった。だが言いようのない雰囲気が食卓を包み込み、ただマルスリーヌだけがその意味が理解できなかった。
陰謀
両親と小間使いのクスクス嘲るような笑い。マルスリーヌがシチューの肉を口に入れた時、ついに父親が秘密を明かす。すなわちお前もいい加減大人にならないといけないよ、いつまでもうさぎと遊んでぶらぶらしていてはダメだよと。
それで我々はもうお前をうさぎに会わせないことに決めたのだ、と。そう、子羊のシチューの肉はスーシーの肉だったのである。マルスリーヌは叫びも泣きもせず食事を早めに平らげ、場を離れた。なんの反応もなかったことに親たちは拍子抜けし、この子には愛情が足りない、などと誹るのだった。
*以下次回に続く→【マンディアルグ】「子羊の血」〜短編集”黒い美術館”より紹介(2)