【三島由紀夫】短編「翼」解説|背中で触れた“幻の翼”と戦火に散った乙女の記憶
三島由紀夫の短編小説「翼」は、1951年(昭和26年)5月に『文学界』に発表され、自選短編集にも収録された作品である。今回はあえて三島自身の解説を読まず、筆者の読後感をもとに紹介したい。
◆ 戦後の東京に漂う幻影
筆者がとくに好むのは、戦後の薄暗い陰影を帯びた三島由紀夫の短編群である。そこには戦後東京の荒涼とした街並みと共に、忘れ去られた情景が幻想のように蘇る。
例えば「鍵のかかる部屋」や「音楽」などもそうだが、言葉のひとつひとつが精緻で、洗練された日本語の美しさに酔う瞬間がある。それが海外文学にはない「日本語の深度」だと感じている。
◆ あらすじ:背中に感じた“翼”の感触
「翼」という題からは、童話的な物語を想像してしまうかもしれない。しかし実際の内容は、儚くも残酷な戦争の記憶を描いた幻想譚である。
物語は、従兄妹関係にある杉男と葉子という若い男女が、偶然電車で背中合わせに座るところから始まる。ふと背中が触れ合った瞬間、二人はそれを「翼が触れた」と感じる。互いに、自分と相手に“翼”があると思い込む幻想が芽生えるのだ。
◆ 終わらぬ初恋と戦争の悲劇
思春期の純粋な想いを育む二人は、肉体的な関係には至らずとも、将来を誓い合うような関係に進む。しかし戦争がその夢を引き裂く。
ある日、葉子は友人とともに空襲警報に遭遇し、防空壕へと逃げ込もうとする。友人らが避難する中、葉子だけが遅れて路上に取り残され、爆撃を受ける。
◆ 爆弾で吹き飛ぶ首と“翼”の幻視
爆発の衝撃で葉子の首は吹き飛ぶ。しかしその後、彼女の身体は膝をついた状態でしばらく立ち尽くし、両腕をバタバタと動かしたという。まるで翼を羽ばたかせる鳥のように。
この死に様が、従兄である杉男のもとへ伝えられた。彼女の“翼”は、死の直前に幻として現れたのか、それとも本当に存在していたのか——。
◆ 背負わされた“翼”の重み
終戦を迎え、生き延びた杉男は、やがて商社に勤める。ある日、通勤電車の中でふと肩に何かが触れたような感覚にとらわれる。それ以来、彼の背には「見えない翼」のような重みがのしかかる。
春になりコートを脱いでも、その重さは変わらず、むしろ彼の出世すら妨げるような“軛(くびき)”として彼の人生に付きまとう。杉男は気づかぬまま、亡き葉子の幻影とともに老いていく。
◆ 感想:死と恋、そして“飛べない翼”
この作品の白眉は、乙女の死の瞬間に描かれる“翼”の譬えである。爆風により首を失いながらも腕を羽ばたかせる様子が、まるで白鳥のように美しく、そして凄惨でもある。
この“飛べない翼”は、後年の三島作品に頻出する「切腹と介錯」のイメージにも通じているように思われる。さらに杉男の背中の“翼”は、空を飛ぶための象徴ではなく、地上で生きる重荷である。この逆説性は、ボードレールの詩『アホウドリ』にも似た主題を感じさせる。
結局のところ、彼の翼は「飛ぶため」ではなく、「背負うため」にあったのだ。
●おすすめ記事
→ 【三島由紀夫】「おすすめ小説」ランキング〜基本ネタバレは無し
→ 【三島由紀夫】作品レビューまとめ・最新版
コメント