エドガー・アラン・ポーの1836年の短編「メルツェルの将棋差し」紹介。
挿絵
創元社の全集にあるテキストは小林秀雄氏がバイト時代にボードレールの仏訳を重訳したのが最初と書いてある;その時は拙訳だったのが新たに大岡昇平氏が3分の1を補った。全体的には小林氏の調子に合わせたという。
この短編は当時実際にアメリカ合衆国を巡業中であった自動人形のことを語ったものだ。原題は”Maelzel's Chess Player"だから、正確には将棋というよりチェス打ちの機械である。人形は長方形のかなり大きな箱の上に肩肘を付いて座っており、見物人とチェスの勝負を行うのである。
アウトではないと思うので個人所有の古本に載っているポーの挿絵を掲載しよう。
トリック
さて上のような機械が見世物小屋で披露されていた。図を見ると分かるように箱は5つに仕切られていて、ゲームが始まる前に人形使いは戸を開いて中を見せる。もちろん舞台照明は蝋燭である。AlphaGoなどというプロの棋士にも勝利するAIが開発されているのを目の当たりにしている私たちにとり、
単なるチェス打ちの機械のどこが驚くべきことなのだと思うかもしれない;だが当時はこのマシンが純粋な機械なのかそれとも人間の手になるのか激しい議論を各メディアで引き起こした。エドガー・ポーは持ち前の頭脳と推理力で、この作品の中で種明かしを試みているのだった。
欺き
ポーの結論は箱の中に人間が入っているということだった。つまりこれは純粋な機械ではないということだ。そしてこのことは事実と合致していることが判明している。ゲームの前に興行師は機械の戸を開いて見せ、中に機械類がぎっしり詰まっているのを披露する。
ポーはこの手順が毎回同じで規則正しいこと、中を照らす蝋燭の明かりが奥の方までは照らしきれていないことなどから、観客は全てを見せられたのではなく、”全てを見た気になっている”だけだと考えた。
またこの中に人間が入っていることの強い証として、人形が左手で駒を動かすことをあげた。なぜなら本来人間は右利きなのであるから、人形もそうであるのが自然なのに左腕でチェスをするということは、中に右利きの人間がいて仕掛けが逆になっているからだ。
種明かし
もし右腕で駒を動かすように作るならば、右肩の下に機械が必要になり、中の人間は極めて狭っ苦しい場所で己の利き腕を操作しなければならないのだ。さらにもうひとつ、人形はたまに何かを考えているように目をグリグリ動かして口をニタニタさせたり頭を振ったりするのだが、
この動きは次の一手があまりにも明白で考える用のない時に限ることが認められた。すなわち中の人間が次の手を一生懸命考えなくてはならず、人形を弄る余裕がないような難しい局面の時ではないのだ。ここも不自然である。
蝋燭
エドガー・アラン・ポーの推理力と謎解き要素が詰まったユニークな作品である。今ではコンピューター相手に将棋やオセロや盤ゲームが誰でも無料で遊べる時代になってしまった。この作品が発表された1836年からまだ200年も経っていない。
劇場の照明も蝋燭だが今時災害や停電でも起きない限り蝋燭なんて使わない。危ないし。わずか2世紀弱で文明がいかに進歩したかもしみじみ感じさせられる一編。