「禁色」は戦後の作家三島由紀夫の代表的な大長編小説。題名は平安時代の朝廷の官吏が纏っていた服装の名称からとっている。しかし特に深く考えずこの作品を単なるホモ小説として見るならば、禁じられた色欲である”男色”を主題としたタイトルと考えて差し支えない。
実際文庫で600ページ近くあるページのほとんどをダラダラした男色遊びの繰り返しが占める。ところどころ取ってつけたような芸術論・人生論が挿入されているが、ほとんど言葉の遊びに等しく退屈極まりない。発表は1951年からギリシャ旅行を挟んで1953年まで雑誌に掲載された。
本の評判
「三島あるいは空虚のヴィジョン」を著して三島氏に独自の分析と賛辞を捧げたマルグリット・ユルスナールも「禁色」の文体を”たるんでいる””ほとんど殴り書き”と酷評しているほど。巷でこの本が三島由紀夫おすすめや傑作選に入っているのが筆者も信じられない。
●ユルスナールはこちら→マルグリット・ユルスナール【三島あるいは空虚のヴィジョン】澁澤龍彦訳〜紹介&レビュー
また澁澤龍彦氏との対談で相手の出口裕弘氏も「禁色」は途中で挫折してなかなか最後まで読めないと言っている。
●対談が収録されている本はこちら→澁澤龍彦【三島由紀夫おぼえがき】中公文庫版〜レビュー
かなり分厚い本なのでちょっとした枕にもなるし、トイレット・ペーパーがない時には便所紙にも良い。アウグスティヌスの「神の国」全5巻の各一冊がこれと同じくらいのヴォリュームだが、そっちを読んでいる方が5000倍体力的にも時間的にも金銭的にも有意義である。
●アウグスティヌスはこちら→アウグスティヌス【神の国】第五巻より「悪魔祓い」記録を紹介〜古代キリスト教時代の闇
当ブログではラーメンでもそうだが滅多に作品出来の酷評はしない。けれども一般にこの本が三島由紀夫の作家としての地位を確立しただのと持ち上げられているので、本当のところを伝える義務を感じてこれを書いている。
◯ラーメン記事まとめはこちら 😎 →宮城県北 ラーメンレビューまとめ
それほどこの本は退屈で愚らない。性というテーマすら若者の興味を失いつつある現代、男色など同性愛とて立派な市民権を獲得している。戦後の頃はこういう小説を書くことで前衛カリスマぶることもできたかもしれない。しかしいま私たちが読んでも全然面白くないとだけ言っておこうと思う。
内容
この作品は三島由紀夫お得意の切腹とか天皇とかのテーマは出てこない。血と暴力もない。ちょっと面白い箇所と言えばユルスナールも紹介している、俊輔という老作家の3番目の妻が浮気相手と海に飛び込んで情死した話。あと悠一の妻康子の帝王切開の場面のみ。
前者は打ち上げられた妻の死体が溶解し浮気相手の身体とくっついてしまい、剥がすのに苦労したこと。火葬に付される前に妻の死体の顔に能面を被せたら顔がグチャッと潰れたこと。後者は悠一が美しい妻の帝王切開の出産に立会う血なまぐさい場面。
あらすじ
老作家俊輔は海辺で悠一というとてつもなく美しい青年と出会う。青年は女を愛せない男色家だった。俊輔の可愛がる若い女康子と金で結婚させられ、その他ありとあらゆる俊輔を裏切った知り合いの女への復讐の道具にされる。
何百ページに渡って男女入り乱れたお遊びが続くが、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」のように行為の細かい描写はない。「仮面の告白」における主人公の背徳がただ夢想でしかなかったのに対し、「禁色」は実際に男色しまくる。
この点当時としてはかなりな社会的衝撃作だったろうことは想像できる。しかしいくら何でもこの本に書かれているほど世の中が男色家だらけだとは思えない(笑)。遊ぶだけ遊んだ後悠一は俊輔の元に別れを告げに行くが、老作家は全財産を悠一に遺してその晩自殺した。
まとめ
結局この本には何が書かれているのだろうか。ほとんど何もない。まさに『豊饒の海』4巻の最後のセリフ「もはや何もない所にきてしまった」を思い出した。この分厚い本の読書を頑張るくらいなら『豊饒の海』1巻と2巻が読める。そっちの方が「禁色」より10倍面白い。
ちなみに「禁色」は映画化はされていないようである。映画にしてもやはり退屈だろう(笑)。ボロクソにけなしてしまったが筆者が三島由紀夫が嫌いなのではないということは、こちらの今までのレビューをお読みいただければわかると思う。
また当ブログでは独自に三島作品のおすすめランキングを最近作成している。よろしければご参考にされたい 😉 →【三島由紀夫】「おすすめ小説」ランキング〜基本ネタバレは無し