【ムンク『叫び』】狂気と芸術の境界を描いた表現主義の傑作

疑似学術地帯

【エドヴァルド・ムンク】「叫び」──狂気と芸術が交差する孤高の傑作

「叫び」という作品

エドヴァルド・ムンク(ノルウェー、1863〜1944)の代表作「叫び」は、世界でもっとも広く知られた絵画のひとつです。油彩、テンペラ、パステル、リトグラフなど5つの異なる技法で描かれ、最初のバージョンは1893年に制作されました。以来、ムンクは自身の内なる声に突き動かされるように、この主題を繰り返し描き続けています。

ムンク 叫び
「叫び」1893年(油彩)

出会いと共鳴

私がこの絵と出会ったのは高校時代の美術の教科書でした。当時の私は、授業にも社会にも心を閉ざしていた時期で、教科書の片隅に載っていた「叫び」を眺めながら、まるでこの絵が自分の代わりに絶叫してくれているように感じたのを覚えています。

教室の退屈さ、閉塞感、言葉にならない焦燥と苛立ち。それらを代弁してくれるようなこの絵の存在は、当時の私にとって一種の慰めであり、また刺激でもありました。

構図の中の不安と共感

この作品は、誰にでもわかりやすいシンプルな構図ながら、見る者の深層心理を鋭く揺さぶります。中央の人物は、骸骨のような顔をして両耳を塞ぎ、絶望的な表情で叫んでいます。その背後には、冷静そうな2人の人物が静かに歩いています。3人の人物が同じ空間にいながら、まったく異なる次元にいるように見えるのです。

舞台はフィヨルドにかかる橋。パブリックな空間で「発狂」しているように見えるこの人物は、現代で言えばパニック障害や広場恐怖症のような病態とも重なります。日常のただ中で、理性の箍(たが)が外れ、抑え込まれていた叫びが噴出する──それは誰にでも起こりうる現象かもしれません。

叫びとは、誰の中にもあるもの

人は誰しも「叫び」を内に秘めています。それが顕在化するかどうかは偶然のようなもので、公衆の面前で取り乱すのは、電車の中で突然大声をあげるのと同じくらい、あるいは…大便を漏らすのと同程度に予測不能です(これは比喩的な話です)。

「叫び」は、そうした不安定な精神の縁に立つ人間の姿を、誇張や演出ではなく、圧倒的なリアリズムと象徴性をもって描き出しています。

ムンクが聞いた「果てしない叫び」

ムンク自身、この作品について日記にこう綴っています。

「私は2人の友人と歩いていた。太陽が沈もうとしていた。突然、空が血のように赤く染まった。私は立ち止まり、ひどい疲労感に襲われて欄干に寄りかかった。フィヨルドの上空を、炎の舌と血のような雲が覆っていた。友人たちはそのまま歩き続けたが、私はその場に立ち尽くし、不安に震え、自然を貫く果てしない叫びを聴いたのだった」

この幻視体験こそが、ムンクの筆を突き動かした原点であり、彼の絵に宿る霊的な震えの源なのです。

芸術としての「狂気」

映画『インセプション』の登場人物はこう語ります。「私の頭の中に虫がいて、ムズムズと動き回って、あちこちの線を引っ張るの」──精神疾患とは時にそうした不可視の感覚に満ちています。ムンクの「叫び」は、理性と狂気の境界を破壊し、見る者の精神そのものに侵入してくるかのようです。

マンディアルグは言いました。「作家とは、最悪のものと戯れることのできる知的特権を授かった人間のことである」。それは画家にとっても同じことでしょう。芸術は、社会が目を背けるような“精神の廃棄物”ですら、美へと昇華することができるのです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました