【空海・密教入門③】禅を超える継承者──弘法大師と中期密教の奇跡

疑似学術地帯

伝達(続き)──禅宗との比較から見えるもの

禅宗では、お釈迦様から代々の仏祖に伝えられた「正法眼蔵」が単伝されてきたとされる。その祖として中国では達磨大師が挙げられ、日本曹洞宗では道元がこの法を継ぎ、日本に伝えたとされる。

だが、この「伝光録」などを読む限り、実際には中国文献の単なる翻案であり、日本オリジナルの思想性は乏しい。四行ほどの偈(うた)は付いていても、詩なのか散文なのか判別しがたく、内容は過度に抽象化されている。

これは後代の後継者たちによって、形骸化された結果とも言えるだろう。鎌倉期まではかろうじて保たれていたものの、室町以降の日本仏教はその思想的レベルを大きく低下させた。古仏を超えようという気概も乏しい。

ただし真言密教だけは例外である。弘法大師の系譜には明恵のような稀有な後継者が現れており、それは師である空海があまりに優れていたためである。

継承──禅宗の“神話”に対して

禅宗の単伝には、半ば神話的な話も多い。例えば達磨に弟子が教えを請うため、自らの腕を切り落としたという逸話が残っている。だがそれが何を意味するのかは、曖昧なままである。

禅語録の多くは謎に満ちており、詩的とも言えるが、その不明瞭さゆえに日本で再現したところで本質は伝わらない。これを正しく継承するのは中国という巨大文明に特有の空気があってこそだろう。

道元が「ただひたすら坐れ」と強調したのも、思想的体系化が困難であったがゆえの極端な帰結だったのかもしれない。なお、中国禅の代表作『碧眼録』には、どこかシュルレアリスム文学のような前衛性が漂っている。筆者は、19世紀フランスの『マルドロールの歌』に通じる芸術性を感じるのだ。

なぜ密教は中国で廃れたのか?

インド中・後期密教は中国に伝わったが、広く根づくことはなかった。その理由は単純だ。中国にはすでに玄妙な思想体系が存在しており、外来の神秘思想を必要としなかったのである。

孔子が語り、道教が営まれていた中国は、密教を「取り込む必要のない文化」として迎えた。つまり、“超越”はすでに内在していたのだ。

密教の命脈──なぜ空海だけが受け取れたのか?

Wikipediaを見れば分かる通り、仏教の発祥地インドではすでに仏教はほぼ死滅しており、中国でも密教は表舞台から姿を消している。残っているのはチベット密教だけであり、これはインド密教の後期形態が伝来したものだ。

チベット密教に性的要素が多く見られるのは、曼荼羅や儀式の構造を見れば明らかで、自己の完成と歓喜を目指す教義は、20世紀以降の西洋人──特にヒッピーやニューエイジ層に強く受け入れられた。

だが、中期密教は空海ただ一人にのみ託された。恵果阿闍梨は、密教史上ただ一人、インド中期密教の正当な後継者として空海を見出した。そして日本でその系譜は生き延び、今なお私たちの文化や感情を動かしている。

空海という名のロマン

空海という名を聞いて、何も感じない日本人は少ない。それは論理ではなく、「神力」のような無意識的作用なのだろう。真言密教は、やがて禅宗とも混交され、日本のあらゆる宗派に陀羅尼や真言の片鱗を残すことになる。

この文化の根底にあるのは、やはり弘法大師の存在である。彼がいなければ、ここまでの浸透も、文化の生命力もなかっただろう。日本仏教の独自性とは、まさに空海の神力によって護られている。

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