【ナスカの地上絵】空に向けて描かれた古代人の詩──神と未来へのメッセージ

疑似学術地帯

【ナスカの地上絵】古代人の“本気の遊び心”と美の記録

大地に描かれた巨大な落書き

南米ペルーの乾いた大地に刻まれた、不思議な巨大絵画──それが「ナスカの地上絵」だ。赤褐色の表土を削り取ることで、淡い下地を露出させるという極めてシンプルな方法で描かれており、そのスケールは数十メートルから数百メートルに及ぶ。

猿、犬、蜘蛛、コンドルなどの動物たち。子供の落書きのようにも見えるが、その全体像を捉えるには、空から見下ろさなければならない──飛行機の発明を待たなければ、誰も気づけなかったかもしれない。実際に地上絵が「発見」されたのは1939年、アメリカの考古学者ポール・コソックによる調査からだった。

昭和世代にはアーケードゲーム『ゼビウス』に登場する砂漠の地上絵──あのイメージでピンとくる方も多いだろう。

なぜ描いたのか?という問いの前に

古代文明や遺跡を目の当たりにした現代人がつい口にするのは、「なぜ?」「何のために?」という問いだ。人はすぐに謎のカテゴリへ放り込み、仮説の迷路をさまよいたがる。

だが考えてみてほしい。人は、何も遺さなければただの塵に還るだけだ。死すべき命に永遠性を託す手段として、地に絵を描くという行為は、それ自体が尊い記録であり、美であり、詩である。何万年か後、空からしか見えないスケールのメッセージが発見される──それを想像しながら、彼らは大地に線を引いたのではなかろうか。

日本の先祖は何を遺したか?何も残さず、ただ飯を食って死んでいっただけではなかったか──そんな自虐的な気持ちさえ、ナスカの地上絵を前にすると芽生えてくる。

天に捧げられた芸術

機械も測量器具もない時代に、これだけの巨大な絵を描いた古代人たちは、まさに「真のアーティスト」だった。その観衆は、人間ではない。空の上にいる何か──神々か、鳥か、あるいは未来からやってくる誰かかもしれない。

同じように、美のために労を惜しまなかった例はある。たとえば太平洋の孤島、イースター島のモアイ像たち。数十トンもの石を掘り、削り、運び、立てた人々もまた、「なぜ?」と問われながら黙して語らぬ美を遺した。

意味や理由を問う前に、そこに「美」があることを感じよう。風に揺れる草原の中、斜面から空を仰ぐモアイの切なさ。ナスカの荒野に広がる動物たちの線描の優しさ。芸術とは、理由ではなく、ただそこにあること自体が奇跡なのだ。

マリア・ライヒェ──人生を捧げた一人の研究者

ナスカの地上絵の保存と研究に生涯を捧げた女性がいる。ドイツ出身の考古学者、マリア・ライヒェ(1903–1998)である。1940年、ポール・コソックの助手となった彼女は、以来半世紀以上にわたり、この大地と向き合い続けた。

強い信念と情熱をもって絵の保護活動を続け、ユネスコの世界遺産登録にも尽力した彼女は、晩年ペルー市民権を取得し、ナスカの地に眠っている。その人生こそが、ナスカのもうひとつの地上絵だったのかもしれない。

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