クラナッハの「パリスの審判」——エロスの寓意としての裸体
ルーカス・クラナッハ(父)は、ルネサンス後期ドイツに活躍した画家であり、澁澤龍彦が著書『エロティシズム』において熱烈に支持した画家の一人でもある。とりわけ1530年に描かれた「パリスの審判」は、澁澤にとって最も現代的なエロティシズムの視覚的表象として取り上げられている。
この絵画に描かれた3人の女神(ヘーラー、アテナ、アフロディーテ)は、細身で流麗な裸体を誇る現代的なプロポーションを有しており、かつその表情と姿勢は、観る者の知覚を通じて、密やかに官能を揺さぶる。
神話の構図と審美の逆説
ギリシャ神話の「パリスの審判」は、トロイア戦争の遠因としても知られる有名な逸話である。不和の女神エリスが宴席に投げ入れた“最も美しい者へ”という銘のある黄金の林檎を巡り、3人の女神が美を競う。
最終的に選ばれるのは、愛と美の女神アフロディーテであり、彼女は“最も美しい人間の女(ヘレナ)”を報酬としてパリスに約束する。クラナッハは、この古典神話における「見ること」と「選ぶこと」の倫理的・性的緊張を、装飾を廃した簡素な構図の中に集約している。
象徴と欲望の錬金術——「ユディト」における殺意と微笑
クラナッハの代表作の一つに「ユディト」(1530年)がある。これは旧約外典『ユディト記』に登場する女性の英雄譚を主題としたもので、ベトリアの未亡人ユディトが、敵将ホロフェルネスを色仕掛けで誘い出し、彼が眠っている隙に首を切り落とす場面を描いている。
ユディトの表情は冷淡で静謐である。唇にはわずかな笑みが浮かび、その手に持たれた剣と切り落とされた男の首との対比が凄まじい。澁澤龍彦的観点から言えば、この絵に見られるのは「支配する女」と「悦びのうちに斃される男」という構図、すなわち官能と死の交錯である。
ファッションと肉体——クラナッハ的エロス
クラナッハの女性像の魅力は、裸体の形態だけでなく、そのファッションにもある。ユディトの絵においては、斜めに被った帽子、垂れた飾り紐、そして高く寄せられた胸元が、単なる宗教画ではない艶めかしさを漂わせている。
この視覚的仕掛けは、見る者にエロスを喚起させる。剣の柄は男根の象徴として読解されうるし、ホロフェルネスの首は快楽に呻くマゾヒストの表象でもあるだろう。
まとめ——澁澤龍彦とクラナッハのエロティシズム
クラナッハの描く裸体像は、単なる宗教画や寓意画にとどまらず、現代の欲望と共鳴する視覚的装置である。澁澤龍彦が見出した「抑圧されたエロスの爆発点」としてのクラナッハ作品は、今日の視点から再読されるべき価値を有している。
彼の描いた「パリスの審判」や「ユディト」は、裸体の美しさのみならず、視線と欲望、権力と服従、倫理と快楽といった対立項が複雑に絡み合う、まさに“見られること”を巡る美学の実験場なのである。
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