英訳『ヤシャル書』の歴史的位置と宗教的・学術的考察
書物の由来と基本情報(英訳と現代的入手性)
『ヤシャル書』(Sefer ha-Yashar, 「正しい者の書」の意sacred-texts.com)は、旧約聖書で言及される失われた古代文書にちなんで名付けられたものであるen.wikipedia.org。しかし実際には聖書時代の原資料ではなく、中世に成立したヘブライ語のミドラーシュ的文書であり、その編者は不詳である。ユダヤ教の正統的伝統ではこれを聖書に言及された「ヤシャルの書」とは認めておらず、正典外の外典的性格を有する歴史物語として位置付けているen.wikipedia.org。
学術的な調査によれば、本書の成立は12~13世紀頃と推定されjewishencyclopedia.com、内容中にノアの子孫の地名として「フランツァ(フランス)」「ルンバルディ(ロンバルディア)」といった中世ヨーロッパの名称が現れることから、その時代以降の編纂であることが明白であるen.wikipedia.org。ヘブライ語写本が長らく流布した後、初版は16世紀半ばにナポリで刊行され、その後もヴェネツィア(1625年)をはじめ各地で重版されたjewishencyclopedia.com。
19世紀に入り、英語圏において本書への関心が高まると、まず1751年にイギリスで偽書(いわゆる「アルクイン版ヤシャル書」)が出版されたが、これは中世のヘブライ原典とは異なるものであるen.wikipedia.org。本来のヘブライ語テキストに基づく最初の英訳は、ユダヤ系学者モーゼス・サミュエルによって行われ、1840年にアメリカのモルデカイ・M・ノアの手でニューヨークで刊行されたen.wikipedia.orgjewishencyclopedia.com。さらに1876年にはエドワード・B・M・ブラウンによる別訳も出されたが、広い流通には至らなかったrsc.byu.edu。
現代では1840年版の翻訳を底本とした刊本が引き続き刊行されている。特に1887年にソルトレイクシティで出版された版(1840年版の組版を再設定したもの)は多くの図書館に所蔵され、その後20世紀後半以降も復刻が相次いだrsc.byu.edu。今日ではケッシンジャー社などによるオンデマンド再版や電子テキストも利用可能であり、比較的容易に入手できるen.wikipedia.org。
構成と内容の概観
本書の内容は、アダムとエバの創造から始まり、イスラエル民族がカナンに入って定着し始める士師記序盤の時期まで、旧約聖書の歴史叙事を年代順に叙述しているen.wikipedia.org。ちょうど『創世記』『出エジプト記』から『ヨシュア記』『士師記』冒頭に至る伝承を網羅する形であり、伝統的なモーセ五書の物語とほぼ同じ範囲を扱っているsacred-texts.com。
物語は単一の「歴史書」として編まれており、創世記から続く諸事件が継ぎ目なく語られる。その語り口は聖書正典の素朴な記述を踏襲しつつも、多くの細部や挿話が付け加えられており、空白を埋めるかたちで物語を連続的に展開する。例えば、創世記の系譜や旅路の合間に聖書本文には現れない説明や伝承が挿入されていることが特徴である。また、本書に登場する外典的な挿話の多くは中世ユダヤ教の他の文献(タルムードや各種ミドラーシュ、アラビア語資料など)にも類例が見られる。たとえば、ラメクとその子ヤバルが狩猟中に誤ってカインを殺してしまい、結果としてカインがアベル殺害の報いを受けるという説話はen.wikipedia.org、聖書にはないが中世文献で広く知られた伝承であり、本書も同様の形で採録している。なお、本書の年代設定は聖書と完全に一致するわけではなく、アブラハムの時代にノアがなお存命であったとするなど若干の編年上の相違も認められるrsc.byu.edu。そうした点も含めて、本書は聖書物語を再編纂・増補した「歴史物語」と言える。
正典との差異と宗教的特異性(逸話の紹介と意味づけ)
以上のように、本書は正典とは異なる多くの神話的・伝説的挿話を含んでおり、それらは単なる奇譚ではなく宗教的・思想的意義を帯びている。以下に主要な例を挙げ、その特色と意味を考察する。
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アブラハムの火炉の試練: ヤシャル書では、偶像崇拝に背く若きアブラハムが当時の王ニムロドによって火の炉に投げ込まれる伝説が語られるrsc.byu.edu。聖書正典の創世記にはない逸話であるが、中世ユダヤ教の伝承で広く知られた物語であり、信仰を守ったアブラハムを神が奇跡的に救う筋立てになっている。この物語は、偶像崇拝に抗して唯一神への信仰を貫いた族長アブラハムの徳を強調し、宗教思想的には信仰者の試練と神の守りというテーマを象徴的に描き出している。
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エサウとニムロドの抗争: 創世記で兄エサウが弟ヤコブに長子の特権を譲る場面に、ヤシャル書は独自の背景を与えている。物語では、エサウが狩猟中にバベルの王ニムロドと遭遇し、これを奇襲して首を討ち取ったうえ、その魔法の衣服(ニムロドの力の源とされる衣装)を奪う。しかしニムロド配下の兵に追われたエサウは命からがら逃走し、極度の疲労と飢えに陥った末、自らの長子権を軽んじてしまうsacred-texts.comsacred-texts.com。この挿話は、エサウが一杯の食物で長子の特権を手放した聖書記事を壮大な神話的戦闘と関連付け、ヤコブへの祝福継承が神の摂理によって準備されたものであることを示唆している(実際、エサウが長子権を売るくだりでは「それは主によってそう仕向けられた」と記されているsacred-texts.com)。宗教思想的に見れば、この物語は俗世の権力を象徴するニムロドを倒す英雄譚を絡めつつ、ヤコブが神の選びにより正統な系譜を継ぐ必然性を物語るものとなっている。
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モーセのクシュ国での逸話: 出エジプト記に描かれるモーセの生涯についても、本書は大胆な補完を行う。エジプト人を殺害して逃亡したモーセが18歳でアフリカのクシュ(エチオピア)王国に辿り着き、当時起こっていた戦争に参画した後、27歳でクシュの王に推戴されて40年間その国を統治したという物語であるsacred-texts.com。最終的に67歳で退位してからミディアンの地へ向かい、聖書にある燃える柴の神顕現へと至る設定になっている。この挿話は、民数記12章1節で暗示されるモーセの「クシュ人の妻」の伝承を物語的に説明し、モーセが異郷の地で培った指導者としての資質や、神に守られ導かれた遍歴を強調している。宗教的観点からは、偉大な預言者モーセの召命(めし)という出来事がイスラエル史の範囲を超えて普遍的な舞台で織りなされたことを示唆し、神の計画が異邦の地にまで及んでいたという普遍史的視座を提供している。
結論:本書の学術的意義と限界
ヤシャル書英訳版の学術的意義は、中世ユダヤ教における聖書物語の発展形態を知る手がかりを提供する点にある。聖書本文にはない伝承や詳細が多数盛り込まれており、比較宗教・聖書受容史の観点から、これらは古代から中世にかけての口承伝承や物語世界の反映として貴重である。実際、後代のミドラーシュ集であっても、その中に太古から伝わる伝承の断片が含まれている可能性があるとの指摘もあるrsc.byu.edu。
他方で、本書が史実そのものや真正の古代資料と見なせる根拠は乏しい。本文には正典聖書との矛盾も少なくなく、ダビデの「弓の歌」のように本来参照されるはずの挿話が欠落している点も指摘されているen.wikipedia.org。また前述のように中世以降の地名や時代錯誤的要素が含まれており、作者不詳で資料的来歴も不明瞭であるため、歴史書としての信頼性には限界があるen.wikipedia.org。現に、本書の内容は同時代の他のユダヤ文献と類似点が多く、ユダヤ教の伝統的権威からも高い評価は得ていないrsc.byu.edu。総じて『ヤシャル書』はあくまで聖書物語を増補した伝説的編年史であり、その霊感や権威は正典とは比べるべくもないといえるrsc.byu.edu。
それでもなお、現代の研究者や宗教的関心を持つ読者にとってヤシャル書英訳版は興味深い資料であり、聖書と伝承の接点を考察する上で豊かな素材を提供している。一部の宗教家たちは歴史的参考として本書を活用してきたが、その引用に際してもしばしば「これは啓示ではなく他の史料によって支えられた歴史に過ぎない」といった断りが付されてきたrsc.byu.edu。要するに、本書は聖書正典の背後に広がる伝承世界を映し出す鏡として価値を持つものの、信仰上の教義の拠り所や古代史の直接的証拠として用いることはできない。読者には批判的・学術的視点をもってその内容に接する慎重さが求められるであろう。
rsc.byu.edusacred-texts.comsacred-texts.comsacred-texts.comsacred-texts.comen.wikipedia.orgen.wikipedia.orgen.wikipedia.orgen.wikipedia.orgen.wikipedia.orgen.wikipedia.orgjewishencyclopedia.comrsc.byu.edursc.byu.edursc.byu.eduen.wikipedia.orgrsc.byu.edursc.byu.edursc.byu.edujewishencyclopedia.com
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