【ATALANTA FUGIENS】EMBLEMA X.
――火には火を、水銀には水銀を与えよ。そうすれば君は満たされる
“Da ignem igni, Mercurium Mercurio, et sufficit tibi.”
加算の法則
この章は、第4図「兄と妹の結合」にも通じる“同種を加える”というテーマを扱っている。火には火を、水銀には水銀を与えよ――つまり、同類の本質を補強するような加算が強調される。
ここでの“火”とはエネルギーや情動、“水銀”は可変性・知識・神秘を象徴する。語尾のet sufficit tibi(そうすれば君は満たされる)には、調和の到達を暗示するニュアンスがある。
同類のものは同類で養われる
人間が食べるのは肉や植物であって、鉱石を食べて生きることはできない。もしそれが可能な存在があるなら、きっと身体も鉱物でできているはずだ。
サラマンダーという架空の火の精霊が火中に住むように、火に火を加えるとは、火が“居場所”を得ることであり、さらに活性化されることを意味する。水に魚、火に火。それが自然の理なのだ。
水銀の神秘と加算
水銀(Mercurius)はヘルメスに通じ、神話的には知識と伝達、錬金術的には変化と媒介を象徴する。元素周期表で唯一常温液体の金属であり、物質でありながら形を持たない流動性を持つ。
水銀に水銀を加えるとは、知識に知識を加え、密義に密義を重ねること。つまり“秘儀を深めよ”というメッセージとも読める。そして、その果てにあるのが満足=錬金術師としての完成である。
混合してはならぬ
ここで重要な注意がある。それは火と水銀を混ぜ合わせるな、という教えである。異質のものを無理に融合させれば、調和は崩れ、満足には至らない。
火=情欲/本能、水銀=知性/精神。これらはそれぞれを尊重し、独立させたまま深化させるべきである。情欲には情欲を、知性には知性を――そのように己の本質に沿って加えること。それが満足の鍵である。
異質を分け、同質を加えよ
この章の核心は、異質のものを分け、同質のものを加えるという“区別と増強”の技法である。融合ではなく選別、加算によって“君は満たされる”と説くのである。
火を燃やすには火を、水銀の神秘を深めるには水銀を――それが自然の摂理であり、錬金術の教えである。
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