【マスク】転売禁止と闇取引の裏側に潜む罠──愚かしさと社会の反射
巷で話題の「マスク不足」とそれにまつわる社会現象について、サイト運営者として、そして一個人として思うところを述べてみたい。
コストという境界線
筆者は年に数千円のコストでこのサイトを維持しつつ、道徳的に真っ白でもなければ真っ黒でもないグレーの境界線上で記事を書いている。今回扱う「マスク不足」についても、SEO的な流行りモノにはあまり手を出さない筆者が、あまりに奇妙な現象に思えて書かざるを得なくなった。
(ちなみに、“ですよね”や“わかる〜”といった読者の迎合を狙った言葉は、この文章には登場しない。ああいった語尾は一文字一銭のバイト原稿にすぎず、筆者には不似合いだ。)
アイテム化する日用品
この現象は、かつてオンラインゲームの中でアイテムの価値が急騰するさまを彷彿とさせる。品質は変わらない、原料も変わらない、製造ラインも同じ。中国などの低賃金労働者が相も変わらず同じ手順で作っている。
なのに、なぜこれが麻薬のように密売され、転売が法で規制され、裏ルートで取引されるのか? 禁酒法時代の酒やタバコと違い、マスクは自己保護の道具であり、公共性を持つ日用品だ。
花粉症の季節には例年通り誰かがマスクを使い、風邪の予防にも用いられる。筆者も例外でなく、数年前に購入した某ドラッグストアの65枚入りマスクの2箱目をいまだに使っている。
死と病──その個人的感覚
いかなる社会状況であろうと、筆者にとってマスクは単なる「物体」であり、それ以上の価値を持つことはない。どうせ人間はいつか死ぬ。そう思って今日まで生きてきた。
モーツァルトが死んだ30代前半も、ポーが死んだ30代後半も、ボードレールが死んだ年齢も、自分は生き延びた。そして次に控えるのがデカルトの死にざま──肺炎による50代での死。もしCOVID-19で死ぬのなら、それは哲学的な偶然として受け入れよう。
中国製と価値の逆転
所持しているマスクの箱には、やはり「中国製」と明記されていた。日本ではあらゆる商品が海外で製造されるが、それは言うまでもなく人件費削減による価格調整のためである。
もはやマスクは自由に買えるものではない。いずれ国が買い占め、福祉として配布する時代になるだろう。だが一体誰が、こんな無味乾燥な白い紙片が「高級品」と化すことを予想しただろう?
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